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【ことなら'24秋】大和の伝統行事を巡る(秋・冬編) - 訪ねてみたい古都なら。

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奈良豆比古神社 翁舞 (奈良市奈良阪町 10月8日)

猿楽のルーツ、古い形式の舞

 かつて宿場町として栄えた奈良市奈良阪町の奈良豆比古(ならづひこ)神社で、秋祭りの宵宮(よいみや)に合わせて奉納される。猿楽のルーツといわれる古い形式が残り、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 

 子どもが割り当てられる千歳(せんざい)の舞に続いて太夫の舞があり、途中から脇2人が加わって3人で舞う。3人はいずれも翁の面。最後に黒っぽい面を着けた三番叟(さんばそう)の舞が奉納される。同神社に伝わった多数の能面は奈良国立博物館が保存しており、翁舞の時だけ神社に戻される。

 

太夫を中央に翁の面を着けて奉納される翁舞

 

 

鹿の角きり (奈良市春日野町の春日大社境内の鹿苑角きり場2024年は10月12日~14日を予定)

鹿組み伏せ角切り落とす

 奈良公園といえば鹿。奈良市春日野町の春日大社境内の「鹿苑(ろくえん)」で行われる「鹿の角きり」は、古都奈良にふさわしい伝統行事だ。
 
 江戸時代の1672(寛文12)年、秋から冬の時期の発情期を迎えた雄鹿の角で人が危害を受けたり、鹿が互いに突き合って死傷したりすることを防ぐため、当時の奈良奉行が命じて始まったとされる。
 
「赤旗」を持った法被姿の勢子(せこ)が一列に隊形を保ち、角きり場へと雄鹿を追い込むと、角に縄をかけて捕獲。鹿をゴザの上に組み伏せ、烏帽子(えぼし)をかぶった神官役がのこぎりで立派な角を切り落とす。鹿は神様の使い「神鹿」のため、切った角は神前に供えられる。
 
 捕獲する際に用いられるのは、割り竹を十字に組んで縄を掛けた「十字」と呼ばれる捕獲具。必死に走り抜ける雄鹿に十字を投げかける瞬間は、見ている側も思わず体に力が入る。
 
 鹿苑近くの飛火野では毎年12月1~14日、ナチュラルホルンの音色で鹿を呼び寄せる「鹿寄せ」も実施している。

 

古都奈良にふさわしい伝統行事「鹿の角きり」

 

 

丹生川上神社中社 小川まつり (東吉野村小川10月第2日曜)

太鼓台ひしめく「けんかまつり」

 飛鳥時代に天武天皇が創建したと伝わり、水の神様として信仰を集めてきた丹生川上神社中社。そんな由緒ある神社最大の祭典が「小川まつり」だ。別名「けんかまつり」とも呼ばれ、8連の太鼓台が競い合うように練り歩く。
 
 東吉野村内の8大字から太鼓台が集結すると、担ぎ手の男衆はいっそう威勢の良い掛け声を上げ、五穀豊穣(ほうじょう)と村内安全の願いも乗せて駆け回る。
 
 境内所狭しとひしめき合う太鼓台の勇壮な光景に、普段静かな山里は歓声に包まれる。

 

8連の太鼓台が練り歩く小川まつり

 

 

信貴山朝護孫子寺「信貴山縁起絵巻」特別公開          (平群町信貴山10月26日~11月10日) 

太子創建、「寅」ゆかりの古刹

 今から1400年あまり前、寅の年、寅の日、寅の刻に聖徳太子がこの地で毘沙門天を感得し、崇仏を巡って対立していた物部守屋に勝利。587(用明2)年に自ら毘沙門天を彫って創建したとされる古刹(こさつ)。

 

 910年に病に伏した醍醐天皇が当毘沙門天のご加護により全快したとされ、この時に朝護孫子寺の勅号をたまわり、以来、信貴山朝護孫子寺と称する。
 
 標高437メートルの信貴山の中腹に位置し、仁王門をくぐって進むと、大きな張り子の虎が参拝者を迎え、本堂や護摩堂、多宝塔などが立ち並ぶ。秋には境内を彩る紅葉も美しい。
 
 また、毎年秋には国宝の「信貴山縁起絵巻」を特別公開しており、今年は10月26日~11月10日。3巻のうちの第2巻、「延喜加持の巻」を公開する。

 

大小のお堂が参拝者を迎える信貴山朝護孫子寺

 

 

談山神社 秋のけまり祭 (桜井市多武峰 11月3日)

古式ゆかしく「けまり」披露

 藤原鎌足を祭神とする談山神社のけまり祭は、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が、法興寺(飛鳥寺)の蹴鞠会(けまりえ)で出会った故事にちなむ。

 

 中大兄がまりを蹴ると履(くつ)が一緒に脱げ、それを鎌足が拾って2人は親しくなったという。645年に蘇我氏を滅ぼした「乙巳(いっし)の変」につながったとされる。
 
 けまり祭では色とりどりの上衣に鞠袴(まりばかま)を着けた蹴鞠保存会のメンバーが、古式ゆかしくけまりを奉納。「アリ」「ヤ」「オウ」とまりを蹴る掛け声が境内に響く。4月29日にも「春のけまり祭」がある。

 

中大兄皇子と中臣鎌足が出会った故事にちなむ「けまり祭」

 

 

念仏寺陀々堂 鬼はしり (五條市大津町1月14日)

たいまつ担ぎ鬼が災厄払う

 念仏寺陀々堂(だだどう)の鬼はしりは、五條市の念仏寺で行われる修正会(しゅしょうえ)の結願行事。使われた鬼面に文明18(1486)年の墨書銘が残り、500年以上続くとされる。阪合部(さかいべ)地区14カ大字が行事を運営し、行者も住民が担う。1995年に国の重要無形民俗文化財に指定された。

 

 吉野川左岸の農村地帯。地元の人たちが陀々堂と呼ぶ茅(かや)ぶきのお堂がひっそりと立つ。1月14日の夜、本尊・阿弥陀如来像を祭る須弥壇(しゅみだん)の裏の板壁をカタンカタンと棒打ちする音とほら貝、太鼓が村じゅうに響く。

 

 「火天(かって)」と呼ばれる行者が「水」の字にたいまつを振って火祭りの安全を祈った後、3匹の鬼は燃え盛るたいまつをかざして堂内を3巡する。炎にあぶられた鬼たちが闇に浮かび上がり、白い煙が軒下をうねる。水笹を持つ行者が赤い火の粉を払う。

 

 祖霊の象徴とされるこの鬼は子孫に幸せをもたらし、同地の災厄を払うという。行事前の鬼に触れるのは禁忌だが、たいまつを消した後、鬼の体に結び付けたコヨリは厄除けになるとされ、欲しがる人が多い。

 

燃え盛るたいまつをかついで陀々堂に現れた鬼たち

 

 

西大寺 新春初釜大茶盛式 (奈良市西大寺芝町1丁目1月中旬)

大きな茶わんで「一味和合」

 奈良市の西大寺で営まれる「大茶盛式」は約800年く伝統行事。参拝者の顔が隠れるほどの大きな茶わんで茶を楽しむ光景は、奈良の風物詩の一つとなっている。
 
 鎌倉時代に同寺を再興した高僧叡尊(えいそん)が1239(延応元)年1月16日、寺復興のお礼として西方の鎮守 社八幡神社に献茶し、余った茶を村人に振る舞ったのが始まりとされる。

 

 助け合いながら大きな茶わんで回し飲むことで、心を一つに一致団結する「一味和合」の精神も込められている。大茶盛式は新春のほか、春(4月第2日曜と前日土曜)、秋(10月第2日曜)にも営まれる。

 

大きな茶わんで茶を楽しむ参拝者

 

 

若草山焼き (奈良市の奈良公園・若草山一帯1月第4土曜)

冬の夜空、炎と花火で彩る

 古都奈良に早春を告げる「若草山焼き」は奈良市の若草山を炎で赤々と染め上げ、多くの観光客を魅了する。
 

 1900(明治33)年に始まった伝統行事。花火が打ち上げられると、若草山の草地に一斉点火され、炎の帯が少しずつ広がって冬の夜空を彩る。
 

 若草山麓では「春日の大とんど」や、大とんどから御神火をもらい受ける「御神火奉戴祭」、御神火を若草山麓まで運ぶ「聖火行列」、野上神社で行事の無事を祈願する「野上神社典」があり、「鹿せんべいとばし大会」などのイベントもにぎやかに行われる。

 

若草山を炎で染め上げる「若草山焼き」(多重露光撮影)

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