伝統産業 日本に魅せられた人たち―はじまりの地・奈良から
はじまりの地、奈良は1300年前から文化や技術が結集し、聖地として栄えてきた。奈良が誇る高い技術は多くの伝統産業を生み出し、日本人が誇るべき文化を確立した。
ところが、生活様式は大きく変わり、奈良からはじまった伝統産業や文化は消滅の危機にある。一方、近年では外国人がその価値に気づき、多くの訪日外国人観光客が奈良を訪れている。
伝統産業には、担い手などの課題もあるが、日本らしさや奈良らしさが宿っている。日本人こそがその価値を理解し、失いかけている誇りとともに未来へつないでいく必要がある。今回は、奈良の伝統に魅せられた外国人と日本人、そして技術を受け継ぐ伝統工芸作家の皆さんに「次世代へ継承したい伝統とその深い魅力」についてお話しをうかがった。
奈良県高取町の古民家で暮らす メリッサ・チャン さん
奈良には心の平和がある
カナダ出身。2015年に初めて日本を訪れ、夫のクリスさんと共に2年間、奈良で暮らした。山々の豊かな自然、人々の温かさ、歴史や社寺などの日本文化を気に入り、2019年に再び奈良に戻り、現在は古民家で暮らしている。
大きな建物が建ち並ぶ首都トロントでデザイナーとして働いていた。現在暮らす高取町については「何もないです。だからこそ人の温かさがあり、そこには心の平和があります」と語る。
メリッサさんによると、日本人と自然の関係はユニークで、カナダにも美しい自然はあるが、日本の場合は人の暮らしの中に自然が息づいているのだという。また、建国が新しいカナダでは、古い建物はすぐに建て替えられ、歴史は美術史から学ぶそう。「日本のように歴史を大切にすることは当たり前ではない。歴史を守り、未来に向かう日本人の姿勢は素晴らしい」と話す。
「高取町は地域とのつながりを感じられる良いところ」といい、「古民家の隙間風、雨漏り、庭の手入れなどの家のお世話は当たり前のことです。家と良い関係になれれば家が幸せを運んでくれる」と笑顔で語った。
床の間と脇床に飾られていたのは、面皮細工作家の花井慶子さんと木工作家の大竹洋海さんの作品だ。「どちらも手作りでとても美しい。古民家の雰囲気とナチュラルな素材の伝統工芸は、室内にいても外の自然を思わせてくれる」
画家のクリスさんは日本からインスピレーションを受け、創作活動を行うことも多い。海外のアーティスト仲間にもこの経験を広めようと現在、古民家でのアートゲストハウスを企画している。
「心の平和に日々感謝している」と話すメリッサさん。「奈良は自分の心に正直に生きられる場所」。メリッサさんは私たちが大切にすべき日本の心を教えてくれた。
CAFE FUNCHANA カフェ ファンチャーナ 星田 純子 さん
守られるから求められる伝統工芸へ
聖徳太子が歩いたとされる日本遺産「龍田古道」に沿って店を構える「CAFE FUNCHANA」(奈良県三郷町)。店からは大和川と山々の景色を望める。星田さんは「歴史や自然など奈良はありのままの姿を楽しめる場所です」と話す。
店では奈良の若手実力派陶芸作家の見野大介さんや金本卓也さんらの陶器を使用する。安くておしゃれな食器はたくさんあるが、「気持ちを入れて作ったシフォンケーキやティラミスは、作家さんの心が入った器に盛り付けたい」と力を込める。「シンプルな食事を提供するからこそ、器に助けられている」とも。
珈琲の美味しさを引き立てるマグカップは同店と見野さんのオリジナル。「手作りの温かさがあり、洗練されたシンプルな陶器」。珈琲を淹れた時の美しさ、手で包んだ時の温かさ、舌とカップの淵の触れ方。使えば誰もがその良さを実感できる。「一杯500円の珈琲で作家の作品が楽しめるのも店の魅力の一つ」
店内にはデザイン性に富んだ雪駄が並び、雪駄を履くスタッフや来店客の姿も。雪駄産業が盛んな三郷町。星田さんは2013年、仲間と共に履き心地、デザイン性にこだわった「DESIGN SETTA SANGO」を立ち上げた。メディアやSNSで話題となり数々の賞を受賞。今では店内販売に留まらずオンライン販売、海外での展示販売も行う。「本当に良いと思えるものを提供したい」と話す星田さん。「守られる伝統工芸から求められる存在へ。伝統工芸が人々の日常に溶け込んでほしいです」と熱い思いを語った。
「rooftopーDye worksー」ろうけつ染め作家 中井 由希子 さん
古と今を紡ぐろうけつ染め
溶かした蝋(ろう)でダイレクトに描かれた躍動感のある生きた線、奥ゆかしい色の重なり。四季や自然の移ろいを表現した中井さんのろうけつ染めは、見ているだけで心が和む。
ろうけつ染めの発祥はインド。奈良時代に日本に伝わり、今もなお正倉院宝物に残る。しかし、以降の作品が見られないことから、遣唐使の廃止後は途絶えたという説があり、まぼろしの染色技法とされた。明治以降になると再び研究が進められ、ろうけつ染めはファッションとして女性の間で流行した。
高校時代、奈良県宇陀市室生の「ギャラリー夢雲(むうん)」を訪れ、染色作家・齋藤洋さんの自由で個性的な世界観に感銘を受けた。「人は生まれた時から布に包まれ生き、死ぬ時も布に包まれあの世へいく」。齋藤さんとの出会いにより、染色で生きていくことを決意した。
ろうけつ染めは、熱で溶かした蝋をさまざまな技法で布に描き、その周りを染める。一枚の布に対してこの工程を繰り返し、最後に蝋をとって、色を定着させ、ようやく作品になる。「仕事として伝統工芸を継承するのは大変なこと。それでも、若い人にろうけつ染めの美しさを伝え残したい」
近年では日本の服飾ブランド「matohu(マトフ)」とのコラボレーションや公共施設の空間づくりなど活躍の場を広げている。「人から求められ、喜ばれるものを作りたい」。中井さんのろうけつ染めは、1300年前と今を紡ぎ、新たな価値を未来に残している。
珠玉の工芸作品と作家紹介
面皮細工 花井 慶子 さん
奈良県下市町の製材所で産まれ育ち、大学で服飾を学び、神社で奉職。その後、実家の製材所に入り、面皮の担当となった。面皮は吉野杉の年輪に刃を入れて剥いで材を取る。剥いだ面皮は強く、艶も美しく、木の温かみがある。吉野杉でしか取れない独特の素材を使い、身近な小物やアクセサリーなど、広く色んな間口から吉野材の素晴らしさを伝えられればと日々、製作活動に取り組む。
木 工 大竹 洋海 さん
師と仰ぐ木工作家の徳永順男さんが立ち上げた鉋(かんな)仕上げの吉野杉の家具工房「下市木工舎 市」で代表を務め、家具デザインを継承する。また、吉野杉の器や照明を作る木工作家でもあり、自身のブランドを持つ。「鉋や吉野杉という日本が世界に誇れる技術や文化を継承したい。そして、吉野林業の歴史や先人の思い、吉野杉という素材を大切にものづくりをしていきたい」と語る。
陶 芸 見野 大介 さん
奈良県川西町の「陶芸工房 八鳥(はちどり)」が作陶の拠点である。器は、使いやすさの中に陶芸の奥深さを存分に落としこみ、日常生活の中で伝統工芸にふれてもらうことが願い。左の写真は自身の代表的なブルー「蒼天釉」。釉薬の濃度や焼成、器の形状による釉の流れ方など変化を引き出すために創意工夫し、1つの釉薬から多彩な色を表現している。