【ことなら'24春】聖武天皇の心伝える世界遺産 圧倒のスケールと歴史 - 東大寺探訪
仏教で国を守る「鎮護国家」の大本山
華厳宗の大本山東大寺。仏教を柱に国づくりを進めた聖武天皇の心を今に伝え、国内外から多くの参拝者が訪れる。境内にはいくつもの仏堂があり、時間をかけてじっくり参拝したい。
鏡池越しに望む東大寺大仏殿
2度の兵火で焼失 厚い信仰で再建 大仏殿
東大寺の大仏は高さ約15㍍。聖武天皇が743(天平15年)に造立の詔(みことのり)を出し、752(天平勝宝4)年に開眼法要が営まれた。1300年近い歴史の中で、大仏殿は兵火のため2度焼け落ち、大仏も大きな被害を受けた。
最初は1180(治承4)年の南都焼き討ち、2度目は松永久秀と三好三人衆の戦いで、そのたびに大仏殿は再建された。ただ、2度目の焼失後は100年近く露座の状態で、大仏は風雨にさらされたという。
江戸時代に入り、その姿を嘆いた公慶上人が勧進に奔走、1709(宝永6)年に大仏殿の落慶法要が営まれた。今も参拝者を圧倒する大仏殿だが、創建当初に比べて東西幅が6割ほどに縮小されている。
大仏殿は中門前に広がる鏡池越しに眺めるのが定番。水面に張り出す出島には弁財天が祭られ、聖武天皇の命日に当たる5月2日の聖武天皇祭では、鏡池の特設舞台で舞楽と能や狂言が奉納される。
鎌倉時代の彫像の最高峰が迎える 南大門
運慶や快慶らの手による金剛力士像(国宝)が参拝者を迎える南大門は、鎌倉時代の東大寺復興に力を尽くした重源上人が、「大仏様(だいぶつよう)」と呼ばれる宋風の様式を採り入れて再建した。高さ約25・5㍍。正面にかかる「大華厳寺」の扁額は、重源上人の800年忌に合わせて2006年に掲げられた。文字は聖武天皇直筆の写経から抜き出したもの。
南大門前でくつろぐ鹿たち
火の粉舞う お水取りの舞台 圧巻の夕景 二月堂
大仏殿裏側の道は二月堂に通じている。小川の流れに沿って進むと塔頭(たっちゅう)の土塀が両側に迫る石段となる。先に二月堂を望むことができ、古都らしい風情の撮影スポット。絵筆を走らせる人の姿も。
3月の修二会(お水取り)で知られる二月堂は絶対秘仏の十一面観音菩薩像を本尊とする。現在の建物は1669(寛文9)年の再建。創建は大仏開眼と同じ752(天平勝宝4)年と伝わる。本尊への信仰は厚く、いくつもの講がある。
高台にある二月堂は西側の眺望が開け、大仏殿を含む雄大な景色が広がる。夕暮れ時は特に美しい。修二会の本行は3月1日~15日未明で、期間中は毎夜大きなたいまつが二月堂に上がり、堂内では練行衆(れんぎょうしゅう)が人々の幸せを祈り続ける。
二月堂へと続く参道
東大寺最古の建物 天平彫刻の宝庫 法華堂(三月堂)
二月堂の隣にある法華堂(三月堂)は奈良時代に建てられた正堂と鎌倉時代の礼堂が一体となった建物で、本尊は高さ約3・6㍍の不空羂索観音菩薩立像(国宝)。三つの目と8本の手を持つ巨像で、頭上に銀製の宝冠をいただく。本尊背後の厨子に納められた執金剛神立像は高さ約1・7㍍の秘仏。初代別当(住職)良弁の命日に当たる毎年12月16日に特別開扉される。
奈良時代と鎌倉時代の建物が一体となった法華堂
トピック 大仏殿脇の巨大相輪
大仏殿の東に金色に輝く巨大な相輪が立っている。特に案内はないが、1970年の大阪万博会場に姿を現した東大寺七重塔のレプリカの名残り。レプリカは高さ86㍍の鉄骨造りで、来場者を圧倒した。最上層にはエレベーターで上ることができた。
東大寺にはかつて東西二つの七重塔があり、今も基壇が残っている。
大仏殿の東に立つ相輪。年の大阪万博に登場した東大寺七重塔のレプリカを飾っていた
【メモ】東大寺
奈良市雑司町
電話 0742(22)5511
拝観時間
▽大仏殿=午前7時半~午後5時半(4~10月)
▽法華堂=午前8時半~午後4時
▽東大寺ミュージアム=午前9時半~午後5時半(4~10月)最終入館は午後5時