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【ことなら。2025春】ぶらり散策 興福寺を訪ねて 天平創建時の姿よみがえる

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壮大な藤原氏の氏寺

 近鉄奈良駅を降りると、人波は緩やかな坂を上がって東へ向かう。駅前から東側、奈良公園と認識されている場所の多くはかつて興福寺の境内だった。猿沢池もその一角。現在の地形にも残る通り、台地に広がる伽藍(がらん)からは平城京を見渡すことができた。逆に京内からの視覚効果も抜群。その立地からも、藤原氏の氏寺として営まれた興福寺の位置づけを知ることができる。寺地の面積は官の大寺である大安寺や薬師寺をしのいでいた。

 

 伽藍の中核である中金堂に続き、平城京遷都を主導した藤原不比等の菩提(ぼだい)を弔う北円堂(国宝)のほか、東金堂、五重塔、西金堂などが次々と建てられた。弘仁4(813)年に加わった南円堂は西国札所としても有名。

 

 平氏による治承4(1180)年の南都焼き討ちで伽藍の多くが焼失したが、復興の動きは早く、諸堂が次々と再建された。その後も罹災と再建を繰り返して威容を誇った伽藍も1717(享保2)年の大火で大きな被害を受け、明治時代の廃仏毀釈(きしゃく)などで苦難の時代が続いた。

 

 明治以降の興福寺の歴史は復興の歩みともいえ、中でも悲願とされてきたのが中金堂の再建だった。伽藍の中心を成す巨大な建物だったが、1717年の焼失後は規模の小さい仮堂の建立がやっとだった。

 

 今、興福寺を訪れると巨大な中金堂が参拝者を迎える。立柱式が営まれたのは創建1300年に当たる2010年。同寺が長年の苦労の末に寄進を集めて再建にこぎ着けた。東西37メートル、南北23メートル、高21メートル。古文書や発掘調査の成果を基に、天平の創建時と同じ規模、様式で復元された。

 

2018年に再建された中金堂=奈良市登大路町

 

北円堂(国宝)ー不比等の菩提を弔う

 藤原不比等の菩提を弔うため721(養老5)年に建てられた八角堂。平氏の南都焼き討ちなどで現在の建物は鎌倉時代の再建と考えられている。中央に弥勒仏が安置され、脇侍の奥に無著(むじゃく)像と世親(せしん)像が立つ。インドに実在した僧侶の兄弟で、写実的な表現で知られる。堂内は普段非公開で特別公開の期間が設けられている。

 

藤原不比等の菩提を弔うために建立された北円堂=同

 

東金堂(国宝)ー山田寺仏頭を発見

 元正太上天皇の病気回復を願って神亀3(726)年に建てられた。現在の建物は室町時代の再建。本尊は薬師如来。躍動的な十二神将像もぜひ拝観したい。

 

 1937(昭和12年)、本尊の台座内から仏像の頭部が見つかった。飛鳥にあった山田寺の薬師如来像と分かり、白鳳仏の傑作として国宝に指定されている。興福寺国宝館で拝観できる。

 

南円堂(重要文化財)ー西国三十三所札所

 平安時代の建立。現在の建物は江戸時代の再建で、本尊は不空羂索(けんさく)観音像。西国三十三所の第9番札所としても知られる。毎年10月17日の大般若経転読会に合わせて堂内が公開される。

 

西国霊場の札所としても信仰を集める南円堂=同

 

五重塔(国宝)ー120年ぶりの大修理

 光明皇后の発願で建立され、現在の建物は室町時代の再建。高さ50.8メートル。国内の塔では東寺(京都市)の五重塔に次いで2番目に高い。現在、約120年ぶりの大規模修理が行われており、工事用の覆屋で囲われ拝観できな
い。修理は2034年3月までの予定。

 

覆屋が完成し、大規模修理が始まる五重塔=同

 

国宝館ー阿修羅像など寺宝を公開

 西金堂にあった阿修羅像などの八部衆像、板彫十二神将立像、木造千手観音菩薩立像(高さ約5.2メートル)など多数の寺宝を公開している。参拝者に人気の高い阿修羅像は高さ約1.5メートル。三つの顔と6本の腕をもつ。阿修羅はインド神話の神で、憂いを帯びた少年のような表情が拝観者を魅了する。

阿修羅像などが拝観できる国宝館=同

 

興福寺

拝観時間:午前9時~午後5時。年中無休
拝観料:大人・大学生=900円▽高校・中学生=800円▽小学生=500円(いずれも30人以上は団体割引あり)
問い合わせ:電話 0742(22)5370

 

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