【ことなら。2025春】大和の神・仏との出会い旅 - 祈りと文化の地を訪ねる
古都奈良に伝わる祭りや伝統行事は深い歴史に彩られ、神仏に対する先人の思いも受け継いできた。奈良県内を巡れば各地に息づく「祈り」に大和の神と仏に 出会うことができる。
売太神社の阿礼祭(大和郡山市稗田町)
「お話の神様」を顕彰
現存する日本最古の歴史書「古事記」の編さんに携わったとされる稗田阿礼(ひえだのあれ)。稗田阿礼を祭る大和郡山市稗田町の売太神社では毎年5月5日、「阿礼祭」が営まれる。
稗田阿礼は一目見れば暗唱し一度聞けば記憶する聡明な人物だったといい、読み習った歴代天皇の系譜や各氏族に伝わる伝承を太安万侶(おおのやすまろ)が筆録し、712(和銅5)年に古事記が完成した。
稗田阿礼を西洋の童話作家アンデルセンに匹敵する「お話の神様」としてたたえよう―。そう呼び掛けたのは童話作家の故・久留島武彦さん(1874~1960年)。全国の童話人が賛同し、1930(昭和5)年に阿礼祭が始まった。
祭りでは子どもたちが「稗田の舞」「阿礼さま音頭」「阿礼さま祭子どもの歌」を披露。「阿礼祭」や「郡山音頭」の奉納などもあり、世代を超えて今後も稗田阿礼を語り継ぐ。
阿礼祭で奉納される「稗田の舞」=2024年8月16日、大和郡山市稗田町の売太神社
大垣内の立山祭(広陵町三吉)
住民の手作り、世相を映す
広陵町三吉で毎年8月24日に営まれる「大垣内の立山祭」。地域住民がその年の出来事や人物を「立山」と呼ばれる作り物に面白おかしく仕立て上げ、多くの人に披露するユニークな夏の伝統行事だ。
専光寺(地蔵堂)で営まれる地蔵盆の余興として続けられてきた。昔から武者人形が立てられ、始まりは江戸時代に流行した疫病を治めるため身代わりにしたとも、豪族の細井戸氏が武士の名残りをしのんだとも伝わる。
従来、行事は地域の青年たちが担ってきたが若い世代が減少。祭りの伝統を後世に伝えようと、地域住民が約十数年前に大垣内立山保存会を立ち上げた。
立山のモチーフとなるのは時代物やアニメのキャラクター。さらに保存会の発足を機に動く仕掛けを用いた立山にも取り組む。当日は屋台も並び、多くの子どもたちが立山の見学と屋台巡りを楽しむ。
その年の出来事や人物を面白おかしく仕立て上げて披露される立山=2023年8月24日、広陵町三吉
あからがしら(天理市荒蒔町)
昔話の「獣」にお供え
天理市荒蒔町の勝手神社で12月上旬、聞き慣れない珍しい名前の祭典が営まれる。「あからがしら」。由来が謎に包まれた市内の昔話にまつわる祭りだ。
言い伝えによると、ある年の旧暦11月1日(12月1日)、同市岩屋町の山奥から「あから」という獣が現れた。あからは石上の川を下り、川筋の野のものを食べ尽くした。恐れた地域の人々は暴れないようあからの頭を作り、お供えをして祭るようになった―。
荒蒔町にはその行事が今に残る。現在、祭りは日曜に執り行い、神様が食事をする神饌(しんせん)を手渡ししながら神前に供える。
同神社の通常の祭典では白米のご飯を供えるが、あからがしらでは小豆入りの赤飯を用いる。町内の荒蒔古墳では赤く彩られた猪形埴輪(いのししがたはにわ)が出土しており、「獣と赤」の組み合わせが地元の埴輪にもみられる点が面白い。
「あからがしら」で供えられた神饌=2023年12月3日、天理市荒蒔町の勝手神社
長岳寺の節会(天理市柳本町)
殯の原始的形態を残す御仮屋
天理市柳本町の長岳寺では毎年1月10日に「節会」が営まれる。山門前に勧請縄を掛ける行事として紹介されることが多いが、特徴的なのは「御仮屋(オカリヤ)」と呼ばれる仮設の祠(ほこら)だ。
オカリヤは神を迎え入れるより代で「オハケ」「オダン」などとも称される。県内では北西部の平群町や南部の吉野川流域などが知られる。
長岳寺では円形に9本の柱を打ち込むと、その周囲に3本の割り竹を回して骨組みとし、大量のシイやカシの枝を次々に差し込んでいく。枝葉を使ってドーム状に覆う形は最も原始的な殯(もがり)の形態とされる。
法要で御仮屋に迎えるのは牛頭天王(ごずてんのう)。般若心経を唱えて二礼二拍手一礼をする。まさに神仏習合だ。続いて大門(山門)前の左右2本の大木の間に勧請縄を掛け渡し、地域の安泰を願う。
最も原始的な殯の形態とされる御仮屋の前で営まれる法要=2023年1月10日、天理市柳本町の長岳寺
西大寺の新春初釜大茶盛式(奈良市西大寺芝町)
茶を分け合い心を一つに
奈良市西大寺芝町1丁目の西大寺(真言律宗)で営まれる「大茶盛式」は、約800年続く伝統行事。参拝者の顔が隠れるほどの大きな茶わんで茶を楽しむ光景は、奈良の風物詩の一つとなっている。
鎌倉時代に同寺を再興した高僧叡尊(えいそん)が1239(延応元)年1月16日、寺復興のお礼として西方の鎮守社八幡神社に献茶し、余った茶を村人に振る舞ったのが始まり。
戒律の「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」にのっとって「酒盛り」ならぬ「茶盛り」をし、一つのわんで回し飲んで心を一つに一致団結する「一味和合」の精神を体現しているとされる。当時は高価な薬とされた茶を民衆に施すという医療・福祉の精神も込められている。
次回は「秋の大茶盛式」が10月12日午前9時から6 席に分けて行われる。事前予約制だが当日申し込みも可。問い合わせは同寺、電話0742(45)4700。
大きな茶わんで茶を飲む新春初釜大茶盛式=2025年1月16日、奈良市西大寺芝町1の西大寺
九頭神社のおんだ祭(奈良市下狭川町)
「田植え」演じて豊作願う
奈良県北東部の山間に位置する奈良市下狭川町の九頭神社で、毎年2月17日に行われる「おんだ祭」。県内約60カ所に伝わる、田植えの所作を神に奉納して豊作を願う行事の一つだ。
同神社では春の耕作始めに1年の五穀豊穣(ほうじょう)を祈る「祈年祭」の中の儀式として執り行う。祭典で宮司が祝詞を上げると、いよいよおんだ祭だ。
祭壇の前に田んぼに見立てたむしろが敷かれ、「田長(たおさ)」役はくわを手に「田起こし」や、周囲の土の壁に田の土を塗り付ける「あぜ塗り」の所作を繰り広げていく。
そして牛に馬鍬(まぐわ=まんが)を引かせ、田の土を細かくして平らにならす。最後に稲の苗になぞらえた松苗を置き並べる「田植え」の所作が行われる。祭りを終えると、地域では5月上旬ごろに田植えが始まる。
田植えの所作を奉納する「おんだ祭」=2023年2月17日、奈良市下狭川町の九頭神社
大和神社のちゃんちゃん祭り(天理市新泉町)
にぎやかな渡御で大和に春を告げる
「ちゃんちゃん祭り」の名で知られる、天理市新泉町の大和神社の例祭。「祭りはじめはちゃんちゃん祭り、祭りおさめはおん祭」とうたわれてきた大和に春を告げる行事で、古い祭礼の形を残す奈良を代表する祭りの一つだ。
祭りは「9カ大字」と呼ばれる天理市佐保庄町、三昧田町、萱生町、兵庫町、長柄町、成願寺町、新泉町、中山
町、岸田町の氏子が支えてきた。2基のみこしを中心に約200人の行列が神社を出発すると、同市中山町の御旅所までの約2キロを、鉦(かね)や太鼓を打ち鳴らしながらにぎやかに練り歩く。
御旅所に到着すると、行列参加者は広場で宴会。その間、みこしが置かれた大和稚宮(わかみや)神社前では「御旅所祭」が営まれる。祭典の最後には子ども2人による「龍(たつ)の口舞」などが奉納される。
にぎやかに御旅所へ渡御するみこし=2024年4月1日、天理市中山町
番条のお大師さん(大和郡山市番条町)
他に例のない八十八カ所霊場
弘法大師空海の命日の4月21日、大和郡山市番条町では四国八十八カ所霊場にちなんだ伝統行事が行われる。その
名も「番条のお大師さん」。集落内の各家の玄関先や門前に計88体の弘法大師像が祭られ、参拝者が巡礼する珍しい行事だ。
小さな弘法大師像を納めた厨子の内扉に朱書きされているのは一番から八十八番までのご詠歌。1日で88カ所を巡
ると、四国八十八カ所霊場を巡拝するのと同じご利益があるとされる。
四国八十八カ所霊場を模した写し霊場は各地にあるが、番条町のように民家の一軒一軒が札所となり、年に一度だけ八十八カ所霊場となる例は他になく特殊だという。
番条町で大師信仰が始まったのは1830(文政13)年、同地区でコレラが流行したのがきっかけと伝わる。約190年引き継がれてきた行事は今も大切に伝えられている。
門前に祭られた弘法大師像をお参りする巡礼者=2023年4月21日、大和郡山市番条町