【読者プレゼントあり】「ならまち」に伝統を守り伝えて170年 奈良の甘味を新たなギフトに-砂糖傳増尾商店<PR>
奈良観光のお土産として
観光シーズンを迎えた4月、ならまちの砂糖傳増尾商店にはオリジナルのこんぺいとう「奈良こんふぇいと」を土産として買い求めに訪れる人が多い。
同店は砂糖をはじめ、甘味にかかわる原材料の卸を営みながら、「奈良こんふぇいと」などオリジナル商品を手掛けている。そのうちのひとつが「御門(みかど)米飴」で、「第99回東京インターナショナルギフト・ショー2025」(ビジネスガイド社主催)にはシロップタイプを出品した。
そもそも米飴とはどのような甘味料なのか、なぜ「御門」と名付けられているのか。同店営業部の長谷川優香さんに、お店の歴史とともに教えていただいた。
店舗の正面入り口=4月9日、奈良市元興寺町の砂糖傳増尾商店 本店
「奈良こんふぇいと」が並ぶコーナー=同
オリジナルの味の「奈良こんふぇいと」=同
砂糖傳増尾商店のはじまり
安政元年(1854年)、増尾傳次郎は元興寺町に大和茶の店を開き、木津から船に商品を積んで木津川を下り大坂や堺へ卸していた。帰りの空になった船に、当時は貴重品であった沖縄の黒糖や阿波の和三盆などを積んでそれらを奈良で商うようになったという。砂糖が珍しかった時代、自然と「砂糖屋の傳次郎」と呼ばれるようになったため、「砂糖傳」と名乗るようになった。
170余年、菓子屋を中心に卸を請け負っており、「本当に長いお付き合いをさせていただいている」と長谷川さんは話す。
古来伝承される米飴
同店は砂糖のみならず、砂糖の代替品にもなる商品も扱う。そのうちのひとつである米飴は米を大麦の麦芽(モルト)で糖化した飴で、どこか懐かしい素朴でまろやかで味わい。飴や甘味料として、1000年以上の歴史があるとされている(※注1)。
※注1 『日本書紀』に神武天皇が大和高尾の地で「水無飴(みなしあめ)を作った」と記載されているほか、正倉院に伝わる古文書に表記のある「阿米(あめ)」は米飴のことを指すと言われている。
人工甘味料・防腐剤・漂白剤を一切使用しておらず、ビタミンB₂やミネラルを豊富に含む。麦芽糖は多糖類に属するため、消化される時はゆっくりと吸収され、血糖値の上昇も緩やか。安心・安全な甘味料として注目を集めている。
「御門米飴」の気になる甘さは、砂糖の6割程度。砂糖の全てを置き換えると大量に必要なため難しいが、長谷川さんは「砂糖と併用することや、みりんの代わりとして使うことをおすすめしたい」という。
同店の人気商品「御門米飴」(株式会社 砂糖傳増尾商店提供)
「御門米飴」の誕生
経済発展を背景として、安価で大量生産できる水飴が市場に出回るようになっていたが、同店は「砂糖商だからこそ、日本古来の甘味料を大切に伝えていきたい」と考えた。昭和63年(1988年)に奈良で開催された「シルクロード博覧会」の記念として、米飴を開発した。
特有のコクを一層深めて米飴らしさを追求した商品を、東大寺長老 故・清水公照師が大変気に入り、「壷に入れて、奈良土産として」販売することを提案。さらに「奈良の都には七つの御門があったこと」「遣唐使や他国の使者がその御門を使っていたこと」「米飴を改良する知恵はシルクロード由来の可能性があること」から、「御門米飴」と命名した。以来、同店の主力商品のひとつとして人気を博す。
壷にも書かれている商品名は、清水公照師の直筆(株式会社 砂糖傳増尾商店提供)
「御門米飴」の販売コーナー=同
これからの砂糖傳増尾商店
同店は砂糖商としては国内屈指の歴史を誇り、甘味料を知り尽くしているからこそ「御門米飴」を開発できた。しかしその立場に胡坐をかくことはせず、「東京インターナショナルギフト・ショー」には新たに開発したシロップタイプを出品するなど、積極的に商品を展開している。
長谷川さんは、「今後は何か変わり種といえるようなものも提供できるようになりたい。まずは今の砂糖傳のことを知ってもらいたいので、一度ならまちの本店に来てもらえるとうれしい」と語った。
プレゼント情報
奈良新聞デジタル プレゼントコーナーにて砂糖傳増尾商店の商品プレゼント情報を公開中。
※締め切りは5月4日(日)
今回のプレゼントは、「御門米飴」を原料とするキャンディ「御門飴」(株式会社 砂糖傳増尾商店提供)
砂糖傳増尾商店(本店)
〒630-8332
奈良県奈良市元興寺町10
近鉄奈良駅より徒歩約20分/または市内循環バス「田中町」で下車、徒歩約5分
駐車場(2台)もあり
営業時間:9時~18時 ※年末年始はお休み
TEL:0742-26-2307