【ことなら'24春】藤原氏のルーツを探る 古代日本を揺るがす大政変の舞台 - 源氏物語を巡る旅
藤原鎌足ゆかりの地
藤原氏の祖、中臣鎌足は古代の飛鳥に生まれ、中大兄皇子と共に「乙巳(いっし)の変」(大化の改新)を主導、2人が策を練ったとされる山には鎌足を祭る談山神社が鎮座している。明日香村の遺跡と合わせて巡りたい。
藤原鎌足をまつる談山神社本殿(重要文化財)
「乙巳の変」談合の伝承 談山神社
桜井市多武峰に鎮座する談山神社は、藤原氏の始祖である藤原鎌足を御神体とする。「多武峯縁起(とうのみねえんぎ)」によると「中大兄皇子、中臣鎌足に言って曰く。鞍作(くらつくり、蘇我入鹿)の暴逆をいかにせん。願わくは奇策を陳(の)べよと。中臣連、皇子を将(ひき)いて城東の倉橋山の峰に登り、藤花の下に撥乱反正の謀を談ず」とあり、中大兄皇子と中臣鎌足が藤の花の盛りの頃、談山神社の本殿裏山で極秘の談合を行ったという。
以来、多武峯は「談峯」「談(うた)い山」「談所が森」などと呼ばれるようになり、「大化の改新 談合の地」の伝承が残った。
大化の改新の秘策が練られた場所とされる談山(かたらいやま)
最高冠位 藤原姓を賜る
669(天智8)年、鎌足の病が重いと知った天智天皇は病床を見舞い、後日、人臣の最高位と藤原の姓を授けた。ここから藤原氏が始まったとされる。
鎌足が没すると、墓は現在の大阪府高槻市に造られたが、唐から帰国した長男・定彗が鎌足の遺骨の一部を多武峰山頂に改葬し、十三重塔(重要文化財)と講堂を建立。妙楽寺と称した。さらに701(大宝元)年、方三丈の神殿を建て、鎌足の御神像を安置。これが談山神社の始まりとされる。
(談山神社HPより、一部抜粋)
藤原鎌足の墓
鎌足、入鹿を暗殺 飛鳥宮跡(飛鳥板蓋宮跡)
645(皇極4)年に中大兄皇子、中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺した「乙巳の変」(大化の改新)の舞台となった皇極天皇の宮殿跡。当時の宮殿の屋根はかやぶきや桧皮ぶきだったのに対し、高級材の板を使っていたことから、この名が付いたと考えられる。
継続的な発掘調査で、飛鳥板蓋宮だけでなく、飛鳥岡本宮(舒明天皇)や後飛鳥岡本宮(斉明天皇)、飛鳥浄御原宮(天武・持統天皇)など複数の宮が置かれていたことが判明し、2016年に名称が「飛鳥宮跡」に改められた。現在復元されている石敷広場や大井戸跡は上層の飛鳥浄御原宮のもの。
「乙巳の変」の舞台となった飛鳥板蓋宮跡
「大織冠」鎌足の生誕地 大原の里
藤原鎌足は614(推古22)年、大和国高市郡の生まれとされ、その誕生地と伝わるのが明日香村小原(おおはら)の大原神社。
入り口には「大織冠誕生之旧跡」の石碑が立つ。「大織冠」は天智天皇が死の床にあった中臣鎌足に「藤原」の姓とともに授けた大臣の位で、正一位に相当するという。
神社の裏側には、鎌足の産湯に使ったとされる井戸も。すぐ近くの「大伴夫人の墓」は鎌足の生母の墓とされる円墳だ。
藤原鎌足の誕生地とされる大原神社
【メモ】談山神社
▽住所 桜井市多武峰319
▽電話 0744(49)0001
▽拝観時間=午前8時半~午後5時
▽拝観料=大人600円、小学生300円