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移り変わる道の主役 - 大神神社-大和参道紀行〈2〉

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大神神社の神体山である三輪山と高さ32・2メートルの大鳥居

人・鉄道・車せめぎ合い

 大和国一之宮と言えば、「三輪明神」の別名で知られる大神神社だ。大神神社は本殿を持たぬ神社であり、背後の三輪山をご神体とする。三輪山中にある山ノ神遺跡からは、鏡や勾玉(まがたま)が出土しており、古墳時代の祭祀(さいし)跡と考えられている。『古事記』や『日本書紀』にも、三輪山にまつわる逸話は多い。

 

 こうした来歴から、大神神社を語る際にはとかく不変性が強調される。「古来より変わらぬ」といった具合に。しかし、実のところは大神神社も時代ごとに大きく変動してきた。今回は、大神神社の歴史において語られることの少ない「近現代」に着目して、参道を歩いてみよう。

 

 大神神社には、二つの参道がある。江戸時代以前から使われていた旧参道と、戦後に開通した新参道である。この二つの参道の違いが面白い。

上街道沿いにある旧参道の鳥居

 

 旧参道は、上街道と呼ばれる街道を起点とする。上街道は、奈良から櫟本、丹波市(現天理市)、三輪、桜井までを南北に結ぶ、大和の主要街道である。現在、起点には木製の鳥居が立っている。一帯は馬場先と呼ばれ、江戸時代には高田屋や竹田屋といった宿屋があった。近松門左衛門の人形浄瑠璃『冥途の飛脚』に登場する「三輪の茶屋」も、このあたりにあったものだという。

 

 旧参道には松や楠の並木が植えられ、二の鳥居まで続いている。しかし、並木はところどころで寸断され、歩くには少し苦労する。

(基図:国土地理院 空中写真)

 

 まず、旧参道は地図のAの地点で新参道に分断される。この新参道は国道169号の開通に合わせて整備されたもので、いわば自動車のための参道である。

 

 新参道には、32・2メートルの大鳥居が建っている。これは、昭和天皇の行幸を記念して建てられたもので、1986(昭和61)年に竣工した。熊野本宮大社の大鳥居に次ぐ、日本で2番目に大きい鳥居である。神社の資料によれば、1300年の耐久年数があるというが、さすがに我々には確かめようがない。

 

 旧参道をさらに歩くと、JR桜井線の踏切にぶつかる(B地点)。桜井線の前身である奈良鉄道は、1898(明治31)年に京終駅―桜井駅間を開業させた。

 

 現在は平面交差だが、かつては跨(こ)線橋が架かっていた。欄干には擬宝珠(ぎぼし)がつき、まるで神社の太鼓橋のようなデザインだ。この跨線橋は三輪の名所として親しまれていたが、新参道の開通にともなって1963(昭和38)年頃に撤去された。

 

 Bの地点には、三輪駅の臨時改札もある。正月三が日など参拝客が多い際にのみ利用される、降車専用の改札である。常時使えるようになっていないのは、おそらく三輪駅前の商店街に配慮したためであろう。少し遠回りにはなるが、参道の雰囲気を楽しんでほしい。私のおすすめは、三輪そうめんを衣に使った末広精肉店の「ミワコロッケ」である。

 

 現在、大神神社一帯では大規模な工事が行われている。2017年に策定された基本計画に基づき、参道の整備や休憩施設の設置などが行われている。

 

 B地点より東側では、かつては並木道の南側に2車線の車道があった。しかし、参道整備の結果、歩道の両脇を1車線の車道が挟むようなかたちに付け替えがなされた。

 

 こうしてみると、大神神社の参道では、人・鉄道・車のせめぎ合いが繰り広げられてきたのだと気付く。旧参道を分断する線路を乗り越えるために橋が架けられ、それが自動車道の開通によって撤去された。かと思えば、こんどは車道を付け替えて歩道を中心にする工事がなされた。

 

 こうした変遷は、大神神社以外でもしばしば見られる。参道を歩くときには、「変わらないもの」だけではなく「変わりゆくもの」も見ることで、よりいっそう神社の奥深さを知ることができるだろう。

 

 

 

<執筆者>

 重永瞬(しげなが・しゅん)

 1996年生まれ。京都市出身。京都大学で地理学を学ぶ大学院生(博士課程)。「社寺の境内空間はいかに使われるか?」に関心を持ち、縁日露店の歴史について調べている。ツアー団体「まいまい京都」にて、京都府や奈良県内の寺社の参道を歩くまち歩きツアーを行う。著作に『統計から読み解く色分け日本地図』(彩図社、2022年)。

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