歴史文化
奈良と徳川家康【7】 家康は大和を越えた? 伊賀越えに新説 - 上島秀友さん(歴史作家)
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今回からは徳川家康の三大危難の一つ「伊賀越え」をみていこう。1582(天正10)年、当時絶頂期にいた織田信長が、京で家臣明智光秀に討たれた本能寺の変。伊賀越えは、堺(堺市)にいた徳川家康が領国の三河(愛知県)へ逃走して難を逃れることで有名だが、近年新説が注目されている。それがその際に奈良県を通ったとする「大和越え」だ。
今回からは徳川家康の三大危難の一つ「伊賀越え」をみていこう。1582(天正10)年、当時絶頂期にいた織田信長が、京で家臣明智光秀に討たれた本能寺の変。伊賀越えは、堺(堺市)にいた徳川家康が領国の三河(愛知県)へ逃走して難を逃れることで有名だが、近年新説が注目されている。それがその際に奈良県を通ったとする「大和越え」だ。