大和美酒之記9/吉野杉、酒樽として相性抜群 - 下り酒を支えた樽丸

灘や伊丹(いずれも兵庫)が酒造りの最盛期となった江戸中期。江戸(東京)で酒の受容が高まると、酒を輸送するために酒樽を積んだ樽廻船(たるかいせん)が活躍した。そして吉野(奈良)では吉野杉を使って樽の側板「樽丸」が作られ、上方から江戸へ運ばれた「下り酒」の人気を支えた。
「吉野林業全書」(1898年)によると、吉野の樽丸は享保年間(1716~36年)、堺の商人が黒滝村鳥住に連れてきた広島の職人が製造したことに由来。その技術を伝授され樽丸を作るようになった住人が、川上村高原に来て製造を始め、同村や黒滝村、東吉野村など吉野郡一円にも広まって一大生産地となった。
同書は樽丸製造に最適な杉材を樹齢80~100年とする。密植、多間伐、長伐期で育てられる吉野材は真っすぐで節が少なく、木目が均質で色合いも美しい。今でこそ高級建築材で知られるが、樽丸の最盛期にはその最適な材をつくるために吉野杉が育てられ、吉野の林業は「樽丸林業」とも呼ばれた。
吉野町の「樽丸くりやま」代表で樽丸職人、大口孝次さんは「吉野杉は酒との相性が良かった」と解説する。寒冷地の杉は柔らかく、水を吸収しやすいため液体を入れる材としては不向き。一方、温暖地の杉は硬いが香りが出ない。「吉野の杉は香りと木の硬さなどが酒樽にちょうどいい」と話す。
樽丸の製作には、原木を切る「玉切り」▽みかん割りにする「大割り」▽年輪に沿って薄く割る「小割り」▽カーブした刃物で外側と内側を削る「削り」▽「天日乾燥」―などの工程がある。四斗樽(72リットル)の場合、板1枚は長さ55センチ、幅10センチ、厚さ2センチ。その板を樽職人が円形に並べていき、竹のタガで締めて樽に仕上げる。
樽丸製作の割る、切るは基本的に手作業。大口さんは「機械で割ると木を強制的にゆがめてしまう。そしてなぜか樽にした時に酒が漏れるという問題も出てくる」と説明。「手作業だと木の繊維を生かせる。樽丸にばらつきは出るが、竹のタガで締めると酒も漏れにくい」と語る。
「吉野の樽丸製作技術」は2008年3月、国の重要無形民俗文化財に指定された。ただ現在、樽丸を製作するのは吉野町、下市町、川上村の3軒。コロナ禍に酒樽を割る鏡開きをする祝宴が減少、職人の高齢化も重なり2軒が廃業した。
一方、樽酒に取り組む大手酒造メーカーは吉野の樽丸にこだわりを持ってくれているという。大口さんは「樽丸は先人が確立してくれたもので、私が考案したものは一つもない。需要を守り、その脈々と続いているものが自分の代でなくならないようにしたい」と力強く述べた。


