大和美酒之記6/復活した日本最古の酒母「菩提酛」 - 清酒発祥地、毎冬正暦寺で仕込み
奈良時代、そして平安時代と朝廷の下に置かれた役所で培われた酒造りの技術は、中世になると興福寺や東大寺(いずれも同市)などの大寺院に移った。これらの酒は「僧坊酒」と呼ばれ、中でも「日本清酒発祥の地」とされる同市の正暦寺(菩提山寺)の酒は「菩提泉」の名で知れ渡った。
同寺は992(正暦3)年、一条天皇の勅命で創建。当時権勢をふるった藤原氏の氏寺、興福寺の大乗院別院とされた。明治以前は神仏習合の時代。寺院の鎮守社へ供えるお神酒も境内で造られた。大原弘信住職は「日本酒は昔から生活の場だけではなく宗教儀礼やお祭り、儀式などで用いられてきた」と説明する。
正暦寺の広大な伽藍(がらん)は国の保証のもとに維持されたが、室町時代になると国費の配分が減少。財源を確保するため、寺では貴族や武家に売る酒造りが盛んになった。
その中で日本最古の酒母とされる「菩提酛」をはじめ、現代の醸造法につながる透明の酒、諸白(もろはく)造りの技術が確立。同寺の酒は良酒とされた。
「菩提酛を現代によみがえらせよう」ー。1996年、奈良県内の若手蔵元の有志が「県菩提酛による清酒製造研究会」を発足。県工業技術センター(現県産業振興総合センター)によって、境内の井戸の岩清水から乳酸菌の発見にも成功した。
室町時代の酒造技術書「御酒之日記」にある「菩提泉、白米1斗を水が澄むまでよく洗う」に始まる記述を参考にし、99年1月に菩提酛造りを復活させた。以来、毎年1月に境内で酒母の仕込んでおり、奈良の冬の風物詩となっている。
菩提酛の特徴を、大原住職は「『そやし水』をつくること」と解説する。そやし水は水に生米を浸して乳酸発酵させた酸性水。雑菌の増殖を抑え、酵母の育成を促す。この特徴的な製造法は当時行われた夏期の酒造りも可能とした。
復活した菩提酛造りでもまずこのそやし水を仕込む。そして水に浸していた生米を取り出し、大釜で蒸し上げて麻布の上に手早く広げていく。大原住職が「山中に乳酸の香りが広がる」と話す通り、沸き立つ湯気と漂う甘酸っぱい香りはここでしか味わえない。
境内の冷気で冷ましたコメは再び容器へ投入。そやし水を仕込み水とし、毎年蔵元が交代でつくる麹(こうじ)も入れながら櫂棒(かいぼう)でかき混ぜる。そうして10~14日ほどかけて育てられた酒母は研究会の7蔵元が持ち帰り、それぞれで清酒が造られる。
研究会長の菊司醸造(生駒市)の駒井大社長は「復活させてから27年。よくここまで続いてきた」と振り返り、「若い世代に伝えて30年、40年、50年と続いていければ」と語る。
大原住職は「酒母造りの再現を後世に伝えていくことは使命」と強調。菩提酛の仕込みの水には境内の岩清水を用いており、「伝統的な酒造りの文化ときれいな水を大事にする文化を守り伝えていきたい」とも話す。