【深掘り】整然と並ぶ小型建物群 一等地の性格は - 平城京跡の発掘調査

奈良市二条大路南3丁目の平城京跡で、奈良時代(8世紀)の東西に並ぶ小型の掘っ立て柱建物群や、掘っ立て柱塀などが見つかった。調査区は平城宮の正門朱雀門に近く、京内でも一等地だった場所。発掘調査をしている奈良文化財研究所(奈文研)は「土地利用の性格を考えうえで重要な成果」とし、27日午前11時から午後3時まで現地説明会を開く。同地はどのような場所だったのか。調査成果を詳しく見ていこう。
調査区は平城京内の一等地
調査区は朱雀門の南東約200メートル。同門から南北に伸びる平城京のメインストリート、朱雀大路に隣接する「平城京左京三条一坊二坪」に位置する。
朱雀門前は外国使節の送迎や、男女が歌を交わす歌垣が行われた場所。「二坪」から見ると朱雀大路に接する西辺と、北辺は築地塀が巡り、朱雀門前とは明確に区画された。現在、朱雀大路に沿って復元されている築地塀も、「二坪」の北西角で直角に東へ曲がる形が分かるようになっている。「二坪」はまさに京内でも平城宮に最も近い場所といえる。

計画的に配置した小型の建物群
奈文研は昨年10月から、「二坪」の北半の中央付近、約1125平方メートルを調査している。
掘っ立て柱建物跡は6棟を検出した。いずれも南北に長い建物。小さいものは南北3間(約6メートル)、東西1間(約3メートル)。大きいものは南北4間(約8・1メートル)以上、東西1間(約2・1メートル)以上。どれも小型で規模もばらばらだ。
ただ注目されるのは各建物の位置関係。6棟の建物南端の柱筋をそろえて東西に並んでおり、調査を担当する田中龍一研究員は「計画的に建物群を配置していたことが分かります」と話す。