興福寺創建期の築地塀跡検出 奈文研報告、中世以降の改修も確認
奈良市登大路町の興福寺で、同寺の創建期にあたる奈良時代の築地塀跡が見つかった。中世以降、改修を繰り返していたことも分かり、古代寺院の区画施設の変遷を考える上で貴重な成果になる。奈良文化財研究所(奈文研)の「紀要2022」に報告された。
奈文研が2021年7~11月、五重塔の南東12平方メートルを調査。寺南面築地塀の突き固めた積み土を検出したほか、築地塀に伴う柱の穴も見つかった。
築地塀の北側を通る東西溝(幅約35センチ、残存深さ25~30センチ)も検出した。築地塀の南半分は調査区外となり規模は不明。ただ現在の三条通に面した寺南面の石垣から、東西溝までを築地塀の基底と仮定すると、基底部の幅は約2・1メートルに復元できる。
寺院の区画施設は、飛鳥時代には掘っ立て柱塀だったとみられ、奈良時代になると、平城京では大安寺や薬師寺(いずれも奈良市)などで築地塀跡が確認されている。これらは基底幅が約2・1メートル(7尺)で、興福寺の築地塀も大寺に見合った規模だったと推測される。
調査では中世以降の改修に伴う壁体や柱穴、溝、礎石なども確認した。創建期より基底幅を縮小して小規模なものに造り替え、その後改修を重ねて明治時代に撤去されたと考えられるという。
調査区からは、五重塔の軒につるされた風鐸片の可能性がある、時期不明の銅製品も見つかった。
西田紀子主任研究員は「興福寺が築地塀の改修を重ねられるほど力を持っていたことが分かり、同寺の歴史を物語る」と話す。