神社祭祀を管理、勧請でも奉読されるリスト - 特別編 神々の公簿/神名帳の世界(上)・大和古社寺巡礼025

伴信友の『神名帳考証』(文化10〈1813〉年)は、『延喜式神名帳』記載の神社(式内社)と一部の国史所見式外社の名称、祭神や由緒などについて考証した書物です。
神名帳とは
神名帳とは神社名や神名を地域別、神階順などの分類を施しながら列記したリストです。神社関係だけではなく、神仏習合の伝統を伝える寺院でも神々を法会の場に勧請するための神名帳が作られ、使われてきました。今回はいくつかの神名帳を取り上げて、どのような形で使われてきたのかを考えてみたいと思います。
神祇官の神社台帳
神名帳といえばまず、いわゆる「延喜式神名帳」(平安時代の『延喜式』巻9・10の「神名」上・下)が思い浮ぶのではないでしょうか。
「延喜式神名帳」は、律令制の二官八省のなかの祭祀(さいし)を司(つかさど)る官庁・神祇官で作成された官社(古代において国家が公に認めた神社で、基本的には2月の祈年祭に神祇官からの班幣〈はんぺい〉にあずかった神社)の公簿です。
宮中神、京中に坐す神のほか、山城国や大和国をはじめ国ごとの主要神社2861社・3132座(祀〈まつ〉られている神の座数)が記載されています。「神名」帳とは称されますが、宮中神以外の神名の表記は少なく、ほとんどが神社名の記載となっています。

『延喜式』巻九・神名上の一部分(享保8〈1723〉年・出雲寺蔵版/国立公文書館蔵)
出典:国立公文書館デジタルアーカイブ
この神祇官の神名帳は、神社祭祀の管理のためのリストでした。奈良時代には各神社が神祇官に参集し幣帛(へいはく)の供進にあずかりましたが、平安時代になると神祇官には出向かず、地元の国庁で供進にあずかる神社が生まれます。そのために「延喜式神名帳」では、神祇官に出向く官幣社、各国の国庁に出向く国幣社の別があり、またそれぞれ大社と小社(幣帛が案上〈机の上〉に置かれる大社・幣帛が案下の小社)の別が記されているほか、祈年祭以外の幣帛にあずかる祭祀(月次・新嘗・相嘗)についてもおのおの記されています。
神名帳作成のはじまり

(平安時代後期・国宝/東京国立博物館蔵)
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
祈年祭は「天武天皇四年(六七五)に令制国家祭祀として立制されたものと、最近では考えられている」(國學院大学日本文化研究所編『神道事典』)ので、神名帳のような神社台帳もこの頃に作られ始めたのではないかと思われます。しかし『古語拾遺』には、大宝年中(701~04年)に至り「記文」(大宝令の神祇関係記事か後述の神祇官記)はあるが「神祇之簿」はまだ明らかな案がないとしています。
また『続日本紀』慶雲3(706)年2月26日条には、甲斐や信濃、土佐など19社の神社が祈年祭の幣帛例に列せられ「神祇官記」に神名を掲載したことが見え、『古語拾遺』には天平年間に「神帳」を作ったことが記されています。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション
※写真は平安時代の写本と同じ部分です