歴史文化

日本の心のふる里、飛鳥の地に鎮座する古社 - 飛鳥坐神社・大和古社寺巡礼

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飛鳥坐神社(飛鳥坐神社)

※社寺名は、基本的に現在使われている名称によりました。

※( )内は、神社は『延喜式』神名帳による表記、寺院は史料にみえる表記です。

※記事中の写真の無断転載を禁止します。

 

 日本の心のふる里・飛鳥の地の神奈備山に八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)をはじめとする神々を祀(まつ)り、国の黎明期から国と人々の暮らしを見守り続けてきた古社

飛鳥集落から飛鳥坐神社の杜(もり)を望む

 

エリア/高市郡

御祭神/八重事代主命・下照姫命・高照光姫命・建御名方命

ご神徳/国家安泰・子孫繁栄・五穀豊穣・家内安全

 

 

ご由緒

 飛鳥坐(あすかにいます)神社の創祀(そうし)は詳らかではありませんが、『日本書紀』天武天皇紀の朱鳥元(686)年7月5日条には「幣を紀伊国に居す国懸神、飛鳥の四社、住吉大神に奉りたまう」とあり、この飛鳥四社は『延喜式』神名帳に「飛鳥坐神社四座」と記載される当社だと考えられています(829年の現在地・鳥形山への遷座以前は4社、以後は4座と表現されています)。

 

 また出雲国造(いずものくにのみやつこ)が新任にあたって上京し天皇に奏上する「出雲国造神賀詞〈かむよごと〉」(『延喜式』祝詞所収)のなかに「事代主命の御魂を宇奈堤(うなて)に坐せ、賀夜奈流美命(かやなるみのみこと)の御魂を飛鳥の神奈備に坐せて 皇御孫命の近き守神と貢り置きて」とあり、飛鳥坐神社の鎮座する飛鳥の神奈備に賀夜奈流美命が祀られていたことが分かります。

 

 神賀詞に記載の飛鳥神奈備の場所には諸説がありますが、天武天皇が禁足地にされたと伝わる細川山・稲渕山の付近に「神の前」「神の谷」「御出座山」などの小字名も残り有力視されています。

 

 この神奈備山は平安初期に神託があって、高市郡賀美郷の旧地から同郡同郷の鳥形山(現在地)に遷(うつ)されています(『日本紀略』淳和天皇天長6〈829〉年3月)。遷座当時は現在よりも社地も広く、同社の南西約200メートルにあった御旅所(天神山と伝えられ、現在の境内社・山口神社の旧社地であったと考えられています)なども含んでいたのではないかと考えられています(皇学館大学『式内社調査報告』第3巻)。

 

 また『三代実録』には「貞観元(859)年九月大和国飛鳥社ニ使ヲ遣シ幣ヲ奉リ風雨ノ祈ヲ為ス」とあり、朝廷からも篤(あつ)い崇敬がありました。

 

 江戸時代には高取城(高取町)の真北にあたる当社を藩主が鎮守とし、境内社も多く飛鳥大神宮や元伊勢とも称されて親しまれてきました。

『大和国飛鳥社図』(江戸・元禄時代の版木より/飛鳥坐神社蔵)

 江戸時代の『大和国飛鳥社図』には、境内手前の川(今は溝)に「みたらい橋」が架かり、その右前方に飛鳥井が描かれています。右下の鳥居は、現在は飛鳥井の手前に移されています。

 

 

御祭神

八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)

下照姫命(したてるひめのみこと、飛鳥神奈備三日女神〈あすかのかんなびみひめのかみ〉)

高照光姫命(たかてるひめのみこと)

建御名方命(たけみなかたのみこと)

  後述の【歴史のなかの飛鳥坐神社】⇒「飛鳥坐神社のご祭神」をご参照ください。

 

 

境内参拝・気が付かなければ…

※📸は撮影ポイント

※スマホを見ながら散策できるように、モデル順路

 

社号標 📸

 大字飛鳥の集落から神社に向かって歩みを進めると、神さびた書風の社号標が迎えてくれます。

古社ならではの風格が

 

手水舎

 手水鉢には飛鳥石が用いられています。また飛鳥時代の謎の石造物(川原寺北の飛鳥川畔で発見された出水の酒船石)をモデルにしたような流水設備から水が流れています。参拝の前に作法に基づいて手水をとり、心身を清めましょう。

不思議な姿の手水鉢

 

飛鳥井

 鳥居の手前右手に石の井戸枠があります。「飛鳥井」と称される名泉です。

 

 「飛鳥井に宿りはすべし や おけ 陰もよし御甕(みもい)も寒し御秣(みまくさ)もよし」という催馬楽(古来の民謡の歌詞を雅楽の曲調にあてはめたもので、平安時代に流行した歌謡)の曲が石柱に記されています。

催馬楽にも詠われた飛鳥井

 

大鳥居

 飛鳥坐神社の鳥居(明治45〈1912〉年建立)は、かつては飛鳥集落の入り口に建っていましたが、後に現在地に移されました。

石の大鳥居

 

祓戸神社

 鳥居をくぐって右手に、祓戸(はらえど)神社が鎮座しています。ご祭神は大祓詞(おおはらえのことば)に登場する四柱の神々(瀬織津比売神〈せおりつひめのかみ〉・速開都比売神〈はやあきつひめのかみ〉・気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)・速佐須良比売神〈はやさすらひめのかみ〉)です。

鳥居を進み右手に鎮座する祓戸神社

 

石の階段

 階段の石には「石階四十八級募縁発起」などと刻んだ部材があり、階段を寄進した際の記念であったようです。歴史の一こまを垣間見る思いがします。

 

 石段を上がると左後方に二上山、畝傍山、甘樫丘を望むことができます。

石段の奉納者を記した石材

 

力石

 石段を上った所に、力石があります。男性は左手で、女性は右手で石を持ち上げることができれば、願いが叶(かな)うとされています。

願の力石

 

境内の石碑

 境内には多くの万葉歌碑などが建てられています。探しながら、じっくりと内容を味わうのも楽しいひと時です。

 

 下の写真は「斎串(いぐし)立て神酒(みわ)すえ奉る神主部(かんぬし)のうずの玉陰見ればともしも」(『万葉集』巻13・3229)と「待春の源となる神の石」(境内の陰陽石を歌った歌)の歌碑。この他に折口信夫、会津八一ほかの石碑があります。

境内の各地に歌碑などの石碑が

 

拝殿・本殿

 丹生川上神社上社(吉野郡川上村)がダム建設のために山手の地に遷されることとなり、吉野川の水辺に鎮座していた当時の建物は取り壊して処分することになっていました。しかし、縁あって平成10年に移築して、飛鳥坐神社の拝殿・本殿とされました。

 

丹生川上神社上社から移築した拝殿(上と下)

 

 拝殿の前で 二拝二拍手一拝のお作法で参拝。

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