【解説】新技術導入し瓦を生産 藤原宮造営で試行錯誤 - 日高山瓦窯

奈良県橿原市上飛騨町の日高山瓦窯で、新たに3基の窯跡が見つかり、少なくとも計6基の瓦窯が存在したことが確認された。日本で初めて瓦をふいた宮殿、藤原宮を造営する初期の段階に宮の瓦を生産していたと考えられているが、それぞれの窯には新技術や工夫のあとがみられるという。奈良文化財研究所(奈文研)は「新たな技術を取り入れながら、瓦生産をおこなっていた状況がうかがえる」と話す。
関連情報
現地見学会 7月1日、橿原市上飛騨町の日高山瓦窯で実施。午前11時から午後3時まで。小雨決行。
ロビー展示「日高山瓦窯の瓦」 7月1日から、橿原市木之本町の奈良文化財研究所藤原宮跡資料室で開催。
これまでの調査
日高山瓦窯は、藤原宮の南門「朱雀門」の南約300メートルに位置。朱雀門から南に伸びる藤原京のメインストリート「朱雀大路」のすぐ西側、日高山丘陵の北端に立地する。

1960(昭和35)年、奈良県教育委員会による発掘調査で瓦窯跡1基が確認された。75(同50)年には奈文研の調査で、丘陵北側の裾部から瓦や「日乾(ひぼし)レンガ」が大量に出土。77(同52)年に丘陵で磁気探査を実施したところ、瓦窯が複数存在する可能性が高まり、翌78(同53)年の発掘調査で新たに2基の瓦窯跡が見つかった。
藤原宮跡の発掘調査の成果から、日高山瓦窯の瓦は、1辺約1キロ四方の藤原宮の周囲を囲む、掘っ立て柱塀の「大垣」に使用されたと考えられている。

新たに3基検出 計6基の瓦窯を確認
奈文研によると、日高山瓦窯はこれまでの研究で、天武朝末(7世紀後半)ごろの藤原宮造営初期段階に操業していたと指摘されてきた。ただ瓦窯の詳しい構造や分布は不明な点が多かった。
そこで奈文研は2021年11月、磁気探査と地中レーザー探査を実施。これらの結果、従来の3基以外に複数の瓦窯を示すデータが得られた。
この成果を踏まえて23年5月から、日高山丘陵北西部と北部で発掘調査を実施。過去に確認されている3基と新たに検出した3基、計6基の瓦窯を確認した。

瓦窯は西側から順に「1号窯」から「6号窯」までを命名。1号窯は1978年の調査で発見した遺構を再検出した。検出長4.8メートル、最大幅3.5メートル。製品の瓦を焼く焼成部が、階段状に段を伴いながら傾斜する「窖窯(あながま)」と呼ばれる構造。
地山を大きく掘り込み、その両サイドの内側約50センチの範囲に粘土と砂を交互に積み上げ、さらにその内側に厚さ約20センチの粘土を貼り付けて窯の壁を築いていた。一番奥には煙を出すための煙突「煙道(えんどう)」を備えていた。
