集まった子どもたちと比較すると石の大き…
集まった子どもたちと比較すると石の大きさが分かる。宇陀市の山中で清和天皇の孫、六孫王経基(つねもと)の墓として祭られてきた五輪塔が、国内で2番目に大きいことが明らかになった。
解体された状態で半分ほど地中に埋もれていたが、地元の有志が研究者の指導を受けて調査、周辺を美しく整備した写真が23日付の本紙を飾った。
復元すると高さが4・8メートルほどになるという。尾根の先端にあるため周囲からよく見えたに違いない。
謎は五つの石材の内、二つの所在が分からないこと。最下部で方形の「地輪」と上から2番目の「風輪」で、西側にあった城の石垣に転用されたとの見方もある。
推古天皇母子を葬ったとされる橿原市の植山古墳では、石室の扉石が近くの神社の踏み石に転用されているのが見つかり、注目を集めたことがある。遺跡から庭石に転用された事例も多い。
明治時代の調査記録では、宇陀市の五輪塔は「風輪」が村外に持ち出され、「地輪」は地中に隠されたという。完形で残るとは限らないが、二つの石材がどこに運ばれたのか、興味は尽きない。(増)