質問「命が不平等なのはなぜでしょうか?」 - 我知(がち)ーお坊さんに聞いてみる(2024年11月6日)

【質問】
命が不平等なのはなぜでしょうか。私は女性ですが、アフガニスタンやインドに生まれた女性に比べると、日本に生まれたというだけで、なんと恵まれているのかと思います。それでも、人間に生まれただけで、寿命の面や選択肢の面など、他の動物より恵まれているのかもしれません。例えば蚊に生まれていたら、ただ次の世代を生みたくて血を吸いたいだけなのに、自分の欲望のためではないのに、当たり前のように殺されてしまうでしょう。同じ命なのに、どうしてこうも違うのでしょうか。
地獄や極楽は、少しでも平等に近づけるための発想なのかもしれませんが、それだけでは納得できずにいます。輪廻(りんね)転生が本当にあるのなら、平等も可能かもしれません。あってほしいと思いますが、方便である気もします。仏教的にどう考えたらよいのか、教えていただけたら幸いです。(50代女性)
【回答】
堀内 瑞宏(秋篠寺住職)
【我知なヒント=条件がなければ答えは定まらない。そして自分を見失う。】
表現の難しい質問だなというのが率直な感想です。まず平等という言葉は扱いが難しく、何をどうしたらどのように等しくなるのかを定義せずに使えば、際限なく不平等が見えてくる言葉です。命に関しても、生まれた時代、属する社会と秩序、死に至るまでの過程の扱い、それらを無視して今生における立場だけを入れ替えて考えることが許される言葉ではないでしょう。
人生における疑問というのは本来身近な経験などから生じるものです。その解決手段の一つとして天秤(てんびん)の皿で平等を量る場面もあるでしょう。しかしその皿に異国の社会や違う時代の価値観を乗せては混乱が生じるのも無理はありません。
なぜか現代では、このような定まらない言葉が(何となく良いと思われながら)頻繁に使われている反面、質問者さまのようにその言葉に苦慮する姿も多く見受けられます。この矛盾の要因の一つとして挙げられるのは、社会全体の情報過多ではないでしょうか。なぜなら人は手に余るほどの情報を得ても消化し切れず、最終的には他の多くの意見に流され比較的極端な意見に落ち着くように見えるからです。
このことを踏まえた俗世坊主の私見としては、仏教に厳しい時代になったと感じています。というのも、仏教には中道という考えがあり、簡単に言えば偏見や執着を捨て調和の取れた選択を貫こうとする生き方を指します。しかし現代では極端な意見とその量に流されやすいため、中道を求めてもどこが適度であるのか、そもそも自分がどの立ち位置にいるのかも見失いがちになるように思えるのです。
確かにわれわれの社会は世界に目を向けられる優しさを持っています。ですが、身近にも目を向け、極端に引かれる己を律し、心静かに中道を模索できる、そんな社会になればと祈念してやみません。
さて、日本では衆院議員選挙が行われて1週間余りがたちました。われわれは自らの社会の問題に適切な対応ができているのでしょうか。
【我知(がち)ーお坊さんに聞いてみる】
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【回答者】
興福寺 辻 明俊さん
金峯山寺 五條 永教さん
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宝山寺 東條哲圓さん
【掲載日】
毎月第1、3水曜日「暮らし」のページ・奈良新聞デジタル