歴史文化
常盤御前をかくまった「きしのをか」 宇陀市(1) - 奈良に息づく義経伝説【5】

源義経の母常盤御前は、近衛天皇の中宮九条院(藤原呈子)に仕える下級の女官、雑仕女(ぞうしめ)だった。鎌倉時代の軍記物「平治物語」によると、雑仕女の採用では都の美女1000人を集め、その100人の中から10人を選び、その10人の中の1人として選ばれた。室町時代の「義経記」は「常盤と申すは日本一の美人なり」と評している。
源義経の母常盤御前は、近衛天皇の中宮九条院(藤原呈子)に仕える下級の女官、雑仕女(ぞうしめ)だった。鎌倉時代の軍記物「平治物語」によると、雑仕女の採用では都の美女1000人を集め、その100人の中から10人を選び、その10人の中の1人として選ばれた。室町時代の「義経記」は「常盤と申すは日本一の美人なり」と評している。