古色蒼然(そうぜん)とした仏像が完成時は…
古色蒼然(そうぜん)とした仏像が完成時は金メッキされていたように、現在のイメージが古代と大きく異なることがあ
る。古墳もその一つ。
斉明天皇の墓とされる明日香村の牽牛子塚古墳が、整備事業を終えて築造当時の姿でよみがえった。コンクリートをむき出しにしたような外観に、驚く見学者も多いだろう。
天皇陵を象徴する八角形の墳形はもちろん、びっしりと張られた石材の材質に至るまで、発掘成果を踏まえたこだわりの復元となった。丘陵上で白く輝くその姿は、飛鳥時代にも特別な印象を与えたに違いない。
大国の脅威が急速に高まったのが斉明天皇の時代だった。友好国である百済が唐・新羅の連合軍に滅ぼされ、侵攻の危機は目の前にあった。
中大兄皇子とともに対応策に腐心した斉明天皇は、百済救援のために出向いた福岡県の朝倉宮で生涯を終えた。激動期の飛鳥に生きた女帝だった。
牽牛子塚古墳には斉明母子、墓前の越塚御門古墳には孫の大田皇女(おおたのひめみこ)が眠るとされる。よみがえった墳丘を前に、女帝の物語に思いをはせたい。(増)