野球・木谷祥之 高知ファイティングドッグス入団 投球見直し140キロ超 - 輝く奈良のアスリート
プロ野球ドラフト会議で所属選手が指名されるなど、独立リーグ「四国アイランドリーグplus」への注目が高まっている。同リーグの「高知ファイティングドッグス(FD)」で、今シーズンから県出身の木谷祥之(22・平城高―奈良教育大)がプレーする。選手としては「ほぼ無名」の状態から、どのようにプロへの道を切り拓いたのか。話を聞いた。(有賀哲信)
心の奥底に密かな思い 投球見直し140キロ超
「一緒に野球をやってきた仲間からすれば『何があったのか』という感じでしょうね」。高知FDへの入団を決めた木谷はそう口を開いた。
小学6年から本格的に野球を始め、奈良市立京西中学では軟式野球部に所属した。「全国大会に出るようなチームで、智弁学園にスカウトされた選手もいた。もちろん自分にはまったく声がかからなかった」と話す。
高校でも野球は続けるつもりでいたが「その時の学力で行けるところを選んだ」と、県立平城高校に進学。試合に出られなかったこともあり「あまり熱心ではなかった」と当時を振り返る。
その状況が2年の時に一転する。一塁手として練習試合に少し出る程度だった木谷は、「楽しい」という理由からバッティングピッチャーを務めていた。「いい球を投げている」とチーム内で注目され、ちょうど投手が不足していたこともあり投手に転向した。その年はブルペンで終わり、3年の春に初登板。「延長10回から継投で出た。無死走者一塁という緊迫の場面を抑えられたことで、夏に向け意欲が高まった」。
エースナンバーを背負った夏の県大会。初戦の畝傍戦は、延長11回を完投し、最後は自らのバットでサヨナラ勝ちを決めた。次戦の生駒戦で敗れはしたが、「まだまだやれる」と自らの伸びしろを感じる機会となった。
卒業後は、「ぼんやりと教師になろうと思っていた」と奈良教育大に進学。「野球部があるところ」は進学先の第2条件だった。
コロナ禍で入部は秋からとなり。数回しか練習ができていない状況で、秋リーグ終了後の知事杯で木谷は初登板した。「後ろで守っている先輩の名前も知らない状態。迷惑かけられない」と必死に投げたデビュー戦だった。
2年になってもコロナは終息の兆しを見せず、春リーグは数試合で中止になった。奈教大はその当時、近畿学生野球連盟3部。満足に野球ができない中、木谷は「2部昇格」を目標に掲げ、モチベーションを保ち続けた。
その年の秋リーグは、ひじの痛みに悩まされながらリハビリしつつ登板した。「投球フォームを見直さなければ…」、そう考えた木谷は専門家に指導を受ける決断をする。指導者はSNSを使い、自分で探し出した。
フォームの細部を改善し、130キロがせいぜいだった球速が伸びた。その時点では大学で活躍したい思いが強く、将来プロに行くためという意識はなかった。いや、心の奥底では「140キロを超えたら…」という思いを密かに温めていた。
「なぜか野球を続けられる自信はあったんですよね」と木谷は笑顔を見せる。3年の夏を過ぎて球速は140キロを超えるようになった。4年になり日本野球機構(NPB)へプロ志望届を出しドラフト会議の結果を待った。教職は取ったが「駄目なら教師」という選択肢は、もはやなかった。
独立リーグを志望したのは「結果を出せば1年目からNPBを目指せる」から。高知FDへはさまざまなつてをたどり、「自分の投球を見てほしい」と積極的にアピールし入団を勝ち取った。「中学では野球で進路を決める仲間を見てきたが、まさか自分が同じ立場になれるとは」と、プロ選手になれたことを心から喜んでいる。
四国アイランドリーグplusは今月30日に開幕する。木谷は現在、個人スポンサーを募集している。高知FDの公式ホームページ内「SHOP」から申し込みできる。ぜひ郷土の選手を支援してほしい。
2024年3月13日付・奈良新聞に掲載