藤原宮跡、大極殿北側に基壇 天皇の控室「後殿」か、古代宮殿構造の起源
関連ワード:
奈良文化財研究所(奈文研)は4日、藤原宮跡(694~710年、奈良県橿原市)の発掘調査で、天皇が重要儀式を行った大極殿の北側で基壇(建物の土台)跡が見つかり、「大極殿後殿」とみられると発表した。2021年度の調査でも基壇の一部が見つかり、建物が存在した可能性が浮上していた。専門家によると、大極殿後殿は大極殿に出御する天皇の控室のような建物で、後の平城宮(奈良市)や平安宮(京都市)などに継承される古代の宮殿構造の起源と指摘している。
藤原宮には四方を回廊で囲んだ区域「大極殿院」があり、中央に大極殿があった。奈文研は、5月から大極殿北側の565平方メートルを調査。その結果、大極殿の基壇から北側約11メートルの場所で新たに東西約14メートル、南北約15メートルの基壇を確認した。これまでの調査結果と合わせ、全体の規模は東西約50メートル、南北約16メートルと推定される。
周囲で大量の瓦が出土し、瓦ぶきの建物があったと推定。大極殿との位置関係から、瓦ぶきの建物は大極殿後殿と考えられる。現在のところ、基壇で礎石の据え付け穴は見つかっておらず、建物の規模や詳しい構造は不明という。
一方、大極殿北側のこの場所では、東側から延びる回廊(大極殿後方東回廊)が確認されていたが、今回の調査で西側から延びる回廊(大極殿後方西回廊)の礎石の据え付け穴なども検出した。奈文研は二つの回廊の端が大極殿後殿に接続したと考えている。
現地見学会は6日午前11時~午後3時。少雨決行。駐車場はない。
宮殿構造の確立物語る
木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)の話 大極殿後殿は大極殿に出御する天皇が衣装を整えたり、休憩する控室のような機能の建物だ。大極殿とその後殿を一体のものとして捉えた宮殿構造は後の平城宮や平安宮でもほぼそのまま継承されている。藤原宮で古代の宮殿構造が確立したことを物語る調査結果だ。