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映画「天外者」公開から3周年 12月11日特別上映に寄せて - 五代友厚プロジェクト 100年構想

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封切から3年の年月を経て あの感動を呼び起こす

 幕末・明治期に近代日本経済の礎を築いた五代友厚の生涯を描いた映画「天外者(てんがらもん)」が12月11日、映画公開から3周年を迎える。この日、全国227館で特別上映が行われ、奈良県では橿原市のTOHOシネマズ橿原で上映される。

 

 映画「天外者」は、五代友厚を主人公に幕末から明治初期の歴史青春群像劇を描いたオリジナルストーリー。武士の魂と商人の才を持つ五代友厚。日本の未来のために世界に目を向け、薩摩藩士から明治政府役人を経て実業家となり、今日に続く商都大阪、そして近代日本経済の基礎を作り上げた。


 本作のタイトルである「てんがらもん」は鹿児島弁で「すさまじい才能の持ち主」を意味する。主演の三浦春馬さんの渾身の演技が光る本作は、多くの観客の共感を呼び起こし、封切から3年の年月を経て、特別上映が行われる。

 

映画「天外者」で主人公・五代友厚を演じた三浦春馬さん

 

『五代友厚百年構想』とは

 「実もいらぬ、名もいらぬ、ただ未来へ」。五代友厚、その人の生き様を物語る言葉だ。時代の転換期、五代の生き様は今に何を遺し、そして未来に何を伝えようとしているのか─


 五代友厚プロジェクトは五代の志を継承し、100年先の未来を創る「五代友厚百年構想」を掲げる。五代の生き様に強く惹かれ、自ら考え行動を起こし、そして今、未来へと「五代イズム」を継承する人々の想いを届ける。

 

五代イズムを受け継ぎ、今に、未来に伝える人々からのメッセージ

五代友厚プロジェクト代表 映画「天外者」製作総指揮 廣田 稔氏

 

若者よ 五代友厚から歴史を学べ 

 五代友厚を理解するには、五代が生きた時代の社会的感受性や身体感覚を把握する必要があり、五代の生きた経験を内側から生きてみることが肝要であろう。そのためには緻密で徹底的な資料的基礎付けの努力をし、大胆な想像力と伸びやかな知性を持つ必要がある。では、伸びやかな知性はどうしたらできるか?

 

 それは、常に「私は何を知っているか」ではなく「私は何を知らないか」を起点にすることでしか始まらない。“知らない問い”─時間とは、死とは、性とは、共同体とは、紙幣とは、欲望とは、国民国家とは、グローバリズムとは何か…根源的で人間的な問いを常に抱え、死に至るまで悩まない限り大人として評価される知性を我々は持ち得ない。

 

 人間主義、人権尊重を思い起こすとき、我々は自己を歴史の中心に置く。歴史は過去から現在に流れ、世界の中心は「ここ」であり、世界を生き、経験し、解釈し、その意味を決定する最級的な者(審級)は他ならぬ「私」だと考えている。それでは学術的アプローチは不可能。社会史のミシェル・フーコー(1926〜84)は、「いま、ここ、私」を「カッコに入れて」歴史事象に真っ直ぐ向き合う知的禁欲を自らに課すよう教示している。


 そのためには、事象が生成したその時にまで遡って考察する必要がある。その方法は、これまで歴史家がおよそ立てなかった問い「知らないことへの問いかけ」をやってみることである。そこで五代友厚の登場である。

 

 五代友厚は何をした人であるか? 神戸事件の出来事は何であるかを探るだけでなく「五代友厚、神戸事件はどのように語られずにきたか?」「なぜ五代らは選択的に抑圧、黙秘、隠蔽されるのか、一方なぜ東の渋沢栄一は壱万円札に印刷されてきたのか」も考えてみる必要が大である。歴史の勉強が面白くなるはず。

 

 そこではじめて内田樹とフーコーが推奨する伸びやかな知性へ向かう方向性が定まると期待している。

 

 若者よ、歴史の学び方を五代友厚より始められたい!

 

五代友厚プロジェクト副代表 映画「天外者」共同プロデューサー 鈴木 トシ子さん

 

次の世代に五代友厚公、三浦春馬さんの想い・志伝える 

 「伝えたい志がある。残したい想いがある。」を実現するために、「北辰斜にさすところ」(2007年12月公開)で始まった映画製作です。その後、ある一本の電話から五代友厚公を知ることになり、二作目の映画づくりへ流れができていきました。


 友厚公は、激動の時代に藩や政府、そして富国や日本経済の確立といった時代の要請に立脚しながらも、日本の行く末を見据えて職責を果たされました。武士から官僚、そして民へと立ち位置が変わろうとも、未来の世や人々の思いを大切にした友厚公の志の不思議さを知りたく、この映画製作に臨んでの私の命題となりました。

 

 五代友厚公の功績は、多岐にわたります。幕末から明治の動乱の世に、国禁を侵しての英国留学、明治初年の3つの外交事件の交渉人を努めたことが史実として残っています。三方よし、プラス未来よし、ときには三方痛み分けの時でも“未来よし”を願われていました。

 

 友厚公自身においては、短命な生涯であり、時間というものの不条理さへの葛藤があったように思われます。命の長短が分からない病の中でも、友の憂いに寄り添い、頼って来られた方々への心配りがありました。生き急がれた友厚公を間近で見続けた人々は、友厚公の借財を返済することを負と思わずに17年あまりを費やされました。

 

 そのような友厚公の実像を知っていただきたく二作目の映画「天外者」の製作が始まりました。主演三浦春馬さんが、五代友厚公を演じてくださる時に、友厚公に自身を重ねる瞬間がおありだったのでは、と思うこと度々です。春馬さんが、映像の中で五代友厚公として生きてくださったことには感謝しかありません。

 

 2023年12月11日には映画「天外者」の公開三周年記念上映が全国で開催されます。次の世代に、五代友厚公や三浦春馬さんの想いや志を伝えていけるよう五代友厚プロジェクトは、夢の続きを紡いでまいります。深謝。

 

五代友厚曾孫 稲岡 正子さん

 

 

感謝とともに「天外者」を平穏と平和模索する糧に!

 「実もいらぬ。名もいらぬ。ただ未来のために」と謳った五代友厚の生きざまを、世の中に残そうとしてくださった五代友厚プロジェクトのご発案で「天外者」の映画が3年前に上映され、友厚を演じてくださった三浦春馬さんの悲しい別れから、ファンの皆様の脳裏に強く印象付けられた五代友厚ですが、曾孫としての私には、正直なところ、思いもかけず、製作者の廣田先生に親戚がお世話になったことから、プロジェクトに関わらせていただくことになりました。


 毎月のように開かれる「五代友厚プロジェクト」に参加させていただき、廣田先生、鈴木トシ子様の情熱に頭が下がる思いでした。仕事に追われた定年までと、その後の再雇用制度が終わった頃に、お声を掛けていただきました。

 

 若い頃には、先祖の名前が重く、できることなら避けて通りたい気持ちで生活し、友厚の業績に関心も寄せずに半世紀以上を過ごしておりました。降って湧いたような歓迎に、プロジェクトの会合に出かけるのがとてもおこがましい気がしておりました。


 映画化の話が進み、実現が本格的になって来た頃には、伝記を読み、父が残してくれていた『五代友厚伝』『五代友厚秘史』その他の資料を読み、大阪の街にいくつも存在する銅像や、大阪企業家ミュージアム、鹿児島県いちき串木野市の薩摩藩英国留学生記念館に足を運ぶことになり、彼の業績を改めて認識することになりました。2015年のNHKの朝ドラ「あさが来た」に、友厚が登場したことも、ブームを起こしたようでした。

 

 友厚の生きた時代背景は、近代的な物は、何もかもが無い時代。現代では、私財を投げ出して、未来の為に!という方よりも、私腹を肥やすとか、自分の仕事に役立つ、ということに目が向いています。

 

 「天外者」を通して、世界の人々が世の中の平穏と平和を願える人間を育てる時代への道を模索する糧にしていただければ幸いと願います。

 

 最後になりますが、この映画を製作してくださった廣田稔先生、鈴木トシ子様に親戚一同感謝の気持ちで一杯です。

 

元大阪府立大学理事・講師 正木 裕氏

 

大阪に花を咲かせた「花神」五代友厚

 日本で「花神」は、野山に花を咲かせ去っていく神とされる。

 

 江戸時代「天下の台所」として活況を呈した大阪は、明治政府による、銀本位から金本位への移行(銀目廃止)、米取引の自由化、廃藩置県と株仲間の解散、数兆円に上る大名貸しの無効化等により大商人が次々に破綻、疲弊が著しかった。

 

 その中で、五代友厚が明治二年、政府の官を辞して帰阪、新しい社会経済システムを先取りした産業・流通・金融改革をおこなった。

 

 まず、貨幣の統一のため「金銀分析所」を開設、「大阪造幣寮」設立のために尽力する。そして堺紡績所や大阪活版所の運営や開設に尽力しつつ、明治三年から近代産業の基礎となる鉱山の開発に傾注、二十六の鉱山を取得し、その経営の為の「弘成館」を設立する。

 

 そうした事業の傍ら、「民」の立場から国・大阪と産業界への貢献に努める。

 

 明治八年には大久保・木戸・板垣ら明治の元勲らが会し、政府の方針を定める「大阪会議」の開催に尽力。株仲間の解散で無秩序化した米相場の安定を図るため「堂島米商会所」を設立、民業に不可欠な大阪株式取引所創立に尽力し出資者となり、商秩序の確立のため大阪商法会議所(大阪商工会議所の前身)を創立し初代会頭となる。大阪公立大学の前身「商業講習所」の設立も社会貢献の一つだ。

 

 五代は、金銀分析所や鉱山業で積んだ巨万の富で財閥を築くことも、大久保らの勧めで大蔵卿に就任し、明治政府の要人として名を残すこともできた。しかし、官職には就かず、富も民業育成・大阪の更生に費やし、明治十八年に百万円の負債を残し五十一歳で没した。その伝記は三十数年後の大正十年まで作られず、維新の苦境の中の大阪に花を咲かせた五代を忘れた。しかし、社会情勢が激しく動く今日、天外者の上映は、五代の挑戦者の精神とその偉業を改めて我々に教えるだろう。

 

講談師 旭堂 南鷹師匠

 

ヒーローの物語『五代友厚記』を上方講談十八番に

 上方の講談師なのに、恥ずかしながら五代友厚の名前を、正確に認識したのは、廣田稔先生から「五代友厚の映画を創るばい」という言葉を聞いたときだった。それから付け焼き刃の知識で講談を創りはじめ、十年の年月が経った。時の長さに比例するほどの知識が身に付いたとは言いがたいが、五代友厚という人物に惚れるには、十分な知識と時間は得た。

 

 五代の最大の偉業は、薩英戦争で英国の捕虜となりながら、腹を切らずに、生き延びる道を選んだことだ。当時の武士たちにとって五代の決断は、命乞いした賤しい選択としか思われなかっただろう。五代は夷狄の捕虜となるだけではなく、同じ薩摩藩士からも命狙われる身となる。あの場面、五代は紛れもなく負け組であった。しかし、自ら買って出た敗北であり、武士にはあるまじき「負けるが勝ち」という美徳を持っていた。そこに五代の未来を見据えた力と矜持が存在する。

 

 人間が生きる上で、最も困難なことは、常識に抗うことと、負け(失敗)を受け入れることではないか。だが五代は、その困難を、国と時代を勝者(発展)へ導くための未来への糧にした。
 

 困難に立ち向かう人をヒーローという。五代はまさしくヒーローだ。そして、そのヒーローの物語を読みつづけてきた芸能が、講談である。なのに、古典にはなぜか五代友厚の演目はない。講談は未だに大阪の偉人として太閤秀吉が人気演目だが、百年後には、上方講談の十八番が太閤記ではなく『五代友厚記』となっている、未来を創っていきたい。


 五代は未来を築くために、志を共有出来る人を求め、その人の力を頼りにした。幸い、上方講談には、故4代目南陵が大阪の五代の物語を数本創作して弟子に託し、現役の小南陵、玉田玉秀斎は僕より先んじて五代を口演していた。また若手の南雲も五代講談を担ってくれている。僕も存分に彼らの力に頼り、百年先に歩みはじめよう。

 

郷土史家 第一工科大学非常勤講師 下豊留 佳奈さん

 

日本の近代化支えた功績に再評価 「天外者」が光当てる

 才能あふれる「才助」、友達思いの「友厚」、まさに五代の人生は名前の通りだ。才助の名づけ親である名君・島津斉彬は、国づくりに大事なことを「人の和」と説いた。一人一人の豊かな生活が、ひいては国を強くするという考え方である。「井の中の蛙」にならぬよう、国際情勢に対応できる実学を奨励し、藩外への遊学や優秀な人材のヘッドハンティンングを行った。斉彬がとりわけ重用した人物が、大和国(奈良県)出身の石河確太郎であった。

 

 石河と五代は、斉彬の遺志を受け継ぎ、紡績事業に力を入れた。石河が技師として携わった富岡製糸場や、五代がイギリスから招聘した技師たちの宿舎である旧鹿児島紡績所技師館は、世界文化遺産に登録された。世界の宝と認められたのである。私たちも、先人の遺志を受け継ぎ、後の世を見据えて豊かな日本をつくっていかねばならないと感じる。

 

 五代は日本の近代化に欠かせない人物にも関わらず、地元鹿児島ではあまり見向きされてこなかった。影に隠れてしまっていた理由の1つに、西郷隆盛の存在が考えられる。西郷が友人の桂久武に宛てた手紙の中で、「五代才助は利のみの人間ですので、利をもってお謀りになさる策はあるでしょうか。随分きっと働きそうなことと思います。」と評価しているが、前半の「利のみの人間」という一文が一人歩きし、後半の「五代は使える男だ」という評価が見落とされてきた。

 

 現代でも、会見やネット動画の一部が切り取られ、本来の意味と違う内容が伝わってしまう事例が数多くみられる。目に入った一部分で物事を判断せず、何が正しくて何が間違った情報なのかを見極める力を養うことが重要だ。映画「天外者」をきっかけに、五代の功績に光が当たった。再評価され、年々人気がでてきていることを大変嬉しく思う。

 

俳優 筒井 真理子さん

 

五代の母演じ役者でいる幸せ 百年先にも生きる演技を

 天外者―天賦の才の持ち主。少年時代、平面の世界地図を地球儀に作り上げたシーンが物語ります。髷を切り落とし武士の時代に決別、経済を通じ国の礎を築くなど頼もしく、その一方自分の元から離れていく息子に切なさを感じた。映画「天外者」で母・ヤスを演じる立場から五代友厚に持つ印象です。


 役を演じるため、その人の生き方やルーツを考えたり、探ったり、自分とは異なる世界観を想像する、これが楽しい。理解が深まることで、よりセリフがしっくりくる。演じる中で脳みそが反応し拡張するような瞬間があるのですが、それは無心で役と一体になれる瞬間。映画「天外者」で言えば、母・ヤスと一体になり、五代友厚が自分の息子になる瞬間。相手と役を通じ気持ちや感情のキャッチボールができることが役者の醍醐味。

 

 役者を志したのは、行き詰まる日常を変えたかったから。偶然通った大隈記念講堂での「第三舞台」の公演を目に、その場で入団。今まで役者人生を歩んできました。コロナ禍、日常が制限される無機質の中、役者は必要かとの自問に、逆に気持ちが高揚したり、豊かになる瞬間の必要性を感じた。その確信が、私の中で芸術やエンターテイメントがフワフワしたものから実態を帯びるようになった。役者でいることに幸せを感じる。

 

 私は役者としては遅咲きですが、私の存在が若い人から「励みになる」と言われます。それは私の励みでもあります。出演した映画「淵に立つ」で監督と100年先も持ちこたえられる作品にしようと話しました。映画「天外者」で五代友厚が「100年先が見えておる」との言葉と重なります。AIやデジタル化は未来を大きく変えると思いますが、上手く取り入れ演技や表現の幅が広がれば。役者の未来に希望が持てる100年先であってほしい。そのために100年後も色褪せず、観る人の心を動かす―そんな演技を目指し、今を演じ続ける。それは五代友厚を演じた三浦春馬さんの鬼気迫る演技に応えることにもなるはず。

 

百年先の日本が見えておるー 五代の志とともに百年先に時を刻む

 

 

奈良新聞12月10日付紙面より

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