【深掘り】本薬師寺跡 国家寺院の正門の様相明らかに - 南門基壇の南東隅を確認

奈良県橿原市城殿町の本薬師寺跡で、南門の基壇の南東隅と周囲の石敷きが見つかった。同寺の正門の位置と構造が明らかになり、調査した同市は「古代の寺院史研究における貴重な成果」としている。どのようなことが分かったのか。3月2日に一般向けの現地見学会が開かれる。午前9時から午後3時。小雨決行。(竹内稔人)
本薬師寺は680年、天武天皇が皇后鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ=後の持統天皇)の病気回復を祈って建立を発願した。698年にほぼ完成し、藤原京(694~710年)の四大寺の一つに数えられた。
伽藍(がらん)は金堂の手前に東塔と西塔を配置した中枢部を、南側の中門と北側の講堂をつないた回廊が取り囲む。平城京遷都に合わせて現在の薬師寺(奈良市)に寺は移り、元の寺は本薬師寺と呼ばれるようになった。寺跡には現在、金堂や東西両塔の基壇と礎石が残る。

石敷きが屈曲、基壇南東隅を確認
南門の遺構は、2018年度の発掘調査で初めて確認された。今回は橿原市が2月1日から、18年度調査区の東側、一部重複する計146平方メートルを調査した。