奈良と徳川家康【2】 家康がよろい奉納、かぶとは… - 漢国神社(奈良市漢国町)
徳川家康が桶屋に逃げ込み、九死に一生を得たという伝承が残る奈良市漢国町。漢国神社には家康が奉納したよろいが伝わる。「茶糸威胴丸(ちゃいとおどしどうまる)具足」。かぶとの前を飾る前立(まえだて)も伝わり、シダの形が特徴的だ。この形態の具足は家康が好んだ。
当時の奈良は甲冑(かっちゅう)の一大生産地。梅木春興宮司によると、家康お抱えの具足師、岩井与左衛門の屋敷が神社近くに存在した。
神社所蔵の文書「漢国日記」と「御鎧之(おんよろいの)由来」は次の内容を記す。1614(慶長19)年11月15日、大坂冬の陣出陣で、家康は二条城(京都市)を出発し木津(京都府木津川市)を経て奈良に入った。翌16日、与左衛門の屋敷に寄ったのち、神社を参拝して具足を奉納したー。
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