国原譜

1007(寛弘4)年8月というから今か…

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 1007(寛弘4)年8月というから今から千年余り前、左大臣藤原道長は吉野の金峯山(山上ケ岳)に登って法要を営んだ。

 

 京都を立ったのが8月2日。奈良の大安寺や壷阪寺に宿泊しながら旅を進め、吉野山を経て10日に金峯山に到着した。山上ケ岳では今も毎年のように滑落事故が起きている。当時の登拝はさらに危険度が高かったろう。

 

 一条天皇に嫁いだ道長の長女、彰子(しょうし)に待望の皇子が誕生したのはこの翌年。登拝は極楽浄土への往生と合わせて皇子の誕生を祈願するためだったともいわれる。

 

 彰子の家庭教師として道長が迎え入れたのが紫式部で、NHK大河ドラマ「光る君へ」で描かれる世界は奈良の歴史とも吉野でつながる。

 

 「光る君へ」の放送で京都は盛り上がりを見せているようだが、今年は「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録から20周年の年でもある。県内では記念事業も予定されている。

 

 皇子の誕生を都の人々は「金峯山の御霊験」とうわさしたとか。絶頂期の道長も参詣した吉野仙境の歴史の深さを改めてかみしめたい。(増)

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