広いばかりで何もない所とも言われてきた…
広いばかりで何もない所とも言われてきた平城宮跡。そこに平成10年の朱雀門、同22年の大極殿に続きまた一つ、朱塗りの天平建築が加わった。
第一次大極殿院の南門。巨大な工事用覆い屋の横だと小さくも見えるが、間口約22メートルで高さは約20メートル。朱雀門と比肩する堂々とした大門だ。
そして立地場所は1300年の歴史を持つ本物。当時ここが国の中心だった。見晴らしの良い大空間が魅力の史跡公園だが、建物の復元が進めば時間を超えた想像もしやすくなる。
外観は推測に基づく復元でも、史跡に立って建物を仰ぐと、中国を模倣しつつ自立した国家を築こうとする強い意思が伝わってくるようだ。
また一方で繰り広げられた激しい権力争いや市井の人々の暮らしむきなど。平城宮跡では並行して進められている考古発掘の成果から、そんな古代の世情も垣間見ることができる。
門は近づく不審者を威嚇し、侵入を阻む役割を担うとともに訪問者を歓迎し、内へといざなう。付いた名は大極門といかめしいが世界と未来に開かれた奈良の新たな玄関口の一つとなるよう期待したい。(松)