東大寺の狹川宗玄長老が101歳で亡くな…
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東大寺の狹川宗玄長老が101歳で亡くなった。南都の寺では最高齢の僧だったが、晩年も寺で数々の法要を勤められた。二月堂の石段を杖を突いて登る矍鑠(かくしゃく)とした姿が今もまぶたに残る。
最後に取材したのは3年前。大正・昭和・平成を生き、四つ目の時代の令和を迎えた心境を語ってもらう企画だった。
狹川長老は昭和19年3月、修二会(お水取り)の参籠中に赤紙が届き出征。「死ぬのは怖くなかった。お国のために死ぬのは当たり前」。当時の教育でそう教え込まれたが、「今思えば怖いこと」と振り返っておられた。
それゆえ、「自国第一主義」や「排他主義」が台頭する現代の世界を危惧されていた。亡くなる直前には欧州で戦火が起こり、その恐れは現実のこととなった。
狹川長老は神仏を調和させた「神仏習合」の思想を「日本人の懐の深さを示すもの」とされた。そして「その原点に立ち返り、寛容な心を持つことが大切」と説かれた。
日本の社会にも「不寛容さ」が広がりつつある。長老の功績とともに、「寛容な心」の大切さを忘れずにいたい。(法)