卓球・中村亮太 パラ五輪「金」に照準 - 輝く奈良のアスリート
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全日本パラ選手権(肢体の部)男子シングルス(クラス5)制覇・フランスオープン男子、混合の両ダブルスで2冠
「2028年のロサンゼルスパラリンピックで金メダル」を目標に掲げる、車いす卓球の中村亮太(22・日本オラクル)。去年9月には第16回全日本パラ卓球選手権大会(肢体の部)男子シングルス(クラス5)で優勝、続く10月のフランスオープン2024では男子、混合の両ダブルス優勝で2冠を手にするなど、大きな一歩を踏み出した。現在はパラ五輪の出場資格を得るためにポイント獲得を目指すが、そこには現実的な問題が横たわる。(有賀哲信)
目標へ工夫と努力
奈良県最北西部に位置する生駒市体育協会高山SC(スポーツセンター)体育館。中村は週2回、この場所で橋田亮一コーチとたった二人だけで練習に励んでいる。
「本当は奈良市内とかにも練習場所があればいいのですが」と中村は本音を漏らす。車いす卓球には、卓球台を支える脚部が奥まった専用台が必要になる。館へのアクセスがバリアフリーであることも必須だ。それらの条件を兼ね備えたのが同所だった。
体育館が使えない時は自宅を使うなど、練習環境は限られる。世界を目指すには不利とも言えるが、全日本選手権のシングルスで優勝し、フランスオープンでもダブルスで優勝を手にした。「この環境でも十分にやっていける」と自信を深めた。「できる範囲で工夫して、挑戦する」――ハンディキャップを抱えたが故に培われた性質だ。中学で卓球を本格的に始め、最初は自分の足で立ってプレーしていたが、股関節に負担がかかり「このままでは完全に歩けなくなる」と医師からストップが出た。それが中学3年の時。卓球を辞めようかとも考えたが、仲間から「中村が頑張っていたから自分も頑張れた」と競技を続けるよう求められ、家族からも「卓球をしている亮太がかっこいい」と励ましを受けた。
天理高校でも卓球を続けることになったが、車いす競技がないため通常の県大会などに出場することになる。「戦術をしっかり組み立てれば、車いすでも健常者と対等に戦える」。そう実感できたことが大きな収穫だったと話す。
高校2年時には車いす卓球の日本代表選手に選ばれ、2022年からは国外の大会にも参戦。より整った競技環境を求め、エージェントの紹介を受けて現在の会社に所属している。
「足が不自由でも工夫次第で乗り越えられる」と中村は力を込める。諦めずに目標に突き進む姿を応援してくれる人々に見せることが、その人たちに感謝を示す方法だ。パラスポーツの最高峰「パラリンピック」でメダル獲得を目指すのも、そんな思いからだ。
現在、指導を受ける橋田コーチには、23年の全日本選手権の3日前に自ら依頼した。それ以降、まさに二人三脚で歩んできた。しかし、海外での試合には費用面でコーチの帯同が難しい現実がある。「フランスオープンのシングルスは優勝を逃がしたが、あと少しの差だった。ベンチにコーチがいてくれればと思った」と、中村は橋田に絶大な信頼を寄せる。
次のパラ五輪まで約3年半。ポイント獲得のために、海外で少なくとも年間5大会は出場したいところだが、世界で戦うには資金がまったく足りていない状況だ。1大会に出場するにはコーチ分も含めると約100万円の費用が必要になる。
ぜひとも中村の選手活動を支援し、県のパラ五輪アスリート誕生を後押ししてほしい。問い合わせは中村亮太公式ホームページ(ryota-nakamura.com)からか、電話080(3052)8600(橋田コーチ)、メール[email protected]。
中村亮太プロフィル
なかむら・りょうた
2002年12月19日生まれ。奈良県出身。幼少時に神経芽細胞腫に罹患(りかん)し両下肢機能障害を抱える。中学時代に卓球と出合い、当初立位でプレーしていたが、股関節の悪化により中学3年で車いす卓球に転向。その年の第17回全国障害者スポーツ大会「笑顔つなぐえひめ大会」でシングルス準優勝、翌年の「福井しあわせ元気大会」では優勝を手にする。進学した天理高校では卓球部でキャプテンを務めた。日本オラクル(東京都)所属。
2025年1月29日付・奈良新聞に掲載