奈良県明日香村、高松塚古墳壁画・西壁男子群像の“杖”「ポロ」のマレット~ 橿考研の中村氏「唐の壁画と共通点」史資料検討し独自見解
奈良県明日香村の国宝・高松塚古墳壁画(7世紀末~8世紀初め)の西壁男子群像が手にする杖状の持ち物は、ポロのマレット(スティック)ではないか―。中国・唐や中央アジアの壁画と史資料を検討し、そんな説を県立橿原考古学研究所(橿考研)の中村健太郎主任企画員(中央ユーラシア史)が発表した。これまでマレットとみる見解もあったが、証拠を示して論じたのは初めて。
高松塚古墳壁画の西壁男子群像のうち右端の人物は、先端がL字型をした杖状の持ち物を手にする。従来は権力を象徴する威儀具とみるのが通説となっていた。
中村さんは近年発掘調査が進む唐の壁画に描かれた、男女の従者の棒状持ち物を調査。男子はポロの毬杖(きゅうじょう=マレット)、女性はT字型やU字型の杖と描き分けていることが分かった。唐時代の出土遺物も調べた結果、毬杖はL字型で高松塚壁画と共通し、中村さんは「高松塚壁画の持ち物もマレットと判断できる」と話す。
ポロは馬に乗って行う団体球技。ペルシャ発祥で中央アジアを経て唐や日本へ伝わったとされる。
中村さんは中央アジアの壁画や中国の史料から、唐には7世紀後半以降、当時商人として活躍したペルシャ系のソグド人らによって伝えたられたと指摘する。
日本では平安時代初期(9世紀前半)にポロが行われた記録があり、5月の端午の節句に行う宮中の年中行事や、外交儀礼で天皇らが権勢や栄華を誇り実施した。
それ以前の飛鳥―奈良時代には、万葉集に「打毬之楽」の表現があり、平城宮跡(奈良市)ではポロに用いたと考えられる「木球」も出土。ただ日本書紀や続日本紀などの正史には記録がなく、中村さんは「当時は唐から伝わった最先端の娯楽として皇族・貴族が私的に興じたのではないか」とみる。
さらに高松塚壁画のマレットはやや短く、馬も描かれていないため、「騎馬ではなく徒歩で競技するポロを表現した可能性がある」と語る。唐では徒歩で競技する場合もあったという。
中村さんは3月20日、橿考研で開かれた講演会「高松塚古墳壁画の系譜―東西交流の視点から―」で説を発表した。「高松塚壁画の研究は国内にとどめず大陸に目を向けることで新たな境地が開けるのではないか。今回の研究はその問題提起になれば」と期待する。