質問「友人が火事で両親を失いました。不測の事態が起きたとき自分はどうしたらよいか、非常に不安です」 - 「我知(がち)ーお坊さんに聞いてみる」(2024年5月1日)

【質問】
「実家が全焼して両親が亡くなった」とお世話になっている年の離れた友人から連絡がありました。火事のあった翌日のことでした。友人はいつもより声にハリがないくらいで、気丈に対応していました。家族や地元の幼なじみの支えが心強いと話していました。
友人も私も一人っ子で、その心中を想像すると非常につらいです。と同時に実家から離れて暮らしているので、不測の事態が起きたときに自分は…と、今まで想像もしなかったことが急に身近に感じられ、非常に不安になりました。
どのように気持ちを整理して向き合っていけばよいでしょうか? お考えをいただけたらとてもありがたいです。よろしくお願いします。
(30代女性)
回答
堀内 瑞宏(秋篠寺住職)
【我知なヒント=困難は分割し、想いは秘する】
3世代以上の複合家族が多かった時代では老いと死は身近にあり、それらについて身内で語り合うことも生活の一部だったようです。また現代と変わらず将来への不安もあったでしょうが、大家族の場合では支え手の数も多かったため分散されていたのでしょう。質問者さまのような一人っ子の場合、いつの日かそれらの不安全てが自分の肩にかかることになります。ですから今回のように認識を改めたとき、自身にかかるその重さにおびえることは無理のない話だと思います。
とはいえ、いつか必ず来る別れのために人は心を構えねばなりません。われわれは、日本各地での災害を経て防災意識を高め、その準備を生活の一部とすることで不安を減らしてきました。これに学び、今まで避けていたものについて話し合い意識することで、老いや死についての不安を減らし前を向くことができるのではないでしょうか。かつて大家族でしていたことを核家族でするのはやはり重いでしょうが、その重さを少しずつ丁寧に親子で分け合うことがこれからの人生に求められるのではないかと思います。
◆
追記 質問文から俗世坊主が私見として思うこと。おそらく火事で親を失ったこの方は、地元の人に支えられていることもあり、心配されれば気丈に振る舞い周りに気を使いながら「大丈夫」と答えるのではないでしょうか。
しかしそう答えたとしても、安らかにとは言えない形で迎えた親の死や自責の念、思い出の場所が無くなったやるせなさなどを、生涯にわたり背負わねばならないことが大丈夫なはずはないのです。このことに対して本来われわれは、優しい沈黙や気遣いをもって見守るべきなのかもしれません。
しかしあえてこの場を借りて、この紙面を読まれた全ての人に、心に刻み心で寄り添うことをお願いしたいと思います。
「火事によってもたらされたその悲しみが、ただ両親を失っただけのものではないことを私たちは知っているよ」と。(合掌)
【お坊さんへの質問を募集しています】
投稿はEメール:[email protected]か奈良新聞デジタルの投稿フォームからお願いします。
相談・質問内容のほか、性別▷年代(30代など)▷氏名▷住所▷電話番号を明記してください。
掲載は相談・質問内容、性別、年代のみです。その他の項目が出ることはありません。
【回答者】
興福寺 辻 明俊さん
金峯山寺 五條 永教さん
秋篠寺 堀内 瑞宏さん
【掲載日】
毎月第1、3水曜日「暮らし」のページ・奈良新聞デジタル