本薬師寺跡、南門の南東隅を確認 基壇囲む石敷きも発見 橿原市「古代の寺院研究における貴重な成果」
奈良県橿原市は26日、同市城殿町の本薬師寺跡(特別史跡)で、南門基壇の南東隅と、基壇を囲んでいたとみられる石敷きが見つかったと発表した。正門にあたる南門は同寺跡の中心伽藍(がらん)の中軸線上、中門の南約20メートルで2018年に初めて検出。今回の調査で、南門の位置や構造が明らかになった。
今月1日から来月上旬までの予定で、南門の南東部分(史跡地範囲外)計146平方メートルを調査。
装飾的な意味などが考えられるという石敷きの幅は基壇の東・南側ともに約3.3メートルで、20~40センチ大の石を敷き詰め、中央部には雨落溝が築かれている。
石敷きや雨落溝は金堂や塔、中門のものと共通しており、伽藍中枢部と同じ造りを採用。18年度調査で見つかった柱列は南門の南辺に位置することが分かり、これまでの想定より南門と中門の距離が短いことが明らかになった。
藤原京にあった本薬師寺は平城京遷都(710年)に際して、奈良市西ノ京町の薬師寺(平城薬師寺)に移転したと考えられている。今回の調査で、南門と中門の位置関係なども本薬師寺跡と平城薬師寺で異なることが分かった。
市文化財保存活用課は「古代の寺院研究における貴重な成果。平城薬師寺との関係性や移転後の本薬師寺の姿を考える上での研究素材を得ることができた」としている。
現地説明会は、3月2日午前9時から午後3時。小雨決行。駐車場はない。中止の場合、当日朝までに橿原市のホームページで知らせる。
【中門と比べても立派な建物と想定】
小沢毅・三重大学教授(日本考古学)の話 南門と石敷きの雨落溝との距離を考えると、軒が大きく出た、中門と比べても立派な建物だったのではないか。飛鳥時代の寺院は中門が大きく、東大寺南大門のように南門が重視される平城京の寺院につながる兆しも見え始めていることがうかがえる。