帝塚山大考古学研究所市民大学講座 聖徳太子と橘寺の関係解説 500回達成「今後も研究伝える」
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帝塚山大学考古学研究所市民大学講座の第500回記念講演会が22日、奈良市帝塚山7丁目の同大東生駒キャンパスで開かれた。同大文学部教授で考古学研究所長・付属博物館長の清水昭博さんが「聖徳太子と橘寺」と題して講演し、市民や考古学ファンら約100人が熱心に聴き入った。
清水さんは、太子生誕の地とされる橘寺(明日香村)と太子の関係について考古学的な証拠から解説。同寺に残る古代遺構や発掘調査によって判明した伽藍(がらん)配置などからも、飛鳥時代に建立された寺だとわかると説明した。
同寺が東を正面とした理由として、蘇我氏本宗家の本拠地だった「島」の地を意識していることや、飛鳥寺と類似した瓦が見つかっていることから「蘇我氏系の王族である太子が同氏を意識していたのでは」と話した。
また、太子が過ごした上宮(かみのみや)の地を斑鳩に引っ越した後に寺にした説と、太子が亡くなった後に取り壊して寺にしたという二つの説が考えられると指摘。「今後もさまざまな方面からの検証が必要だ」と述べた。
1997年に始まった第1回講座から前回までの参加者数は5万6611人。清水さんは「今後も最先端の研究を一般の人たちに伝えていきたい」と話した。