幕末の文久3(1863)年8月、尊皇攘…
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幕末の文久3(1863)年8月、尊皇攘夷派の公家や浪士たちが大和国の五條代官所を襲撃した。「天誅(忠)組の変」と呼ばれる尊王攘夷派の蜂起だ。
天誅組は五條に「五條御政府」を作るが、京都の政変によりわずか1日で朝敵に。吉野の山中で1カ月余り幕府の追討軍と戦うが、最後は現在の東吉野村で壊滅した。
倒幕を目指した初めての武装蜂起であり、「明治維新の先駆け」と言っても良いが、現在、歴史的な位置付けは驚くほど低い。一地方での蜂起であり短期間で鎮圧されたことに加え、戦前、戦時高揚に利用された影響もあるのだろう。
そのため、150年目の2013年、五條市や東吉野村など、ゆかりの地が天誅組市町村連携協議会を結成。県内や東京都でシンポジウムを開いた。
その後も各地で顕彰活動を行ってきたが、最近はコロナ禍もありやや停滞気味。天誅組の知名度も全国だけでなく県内でも低いままだ。
今年は決起から160年の節目。関連書籍も出版されており、郷土の歴史を多くの県民を知ってもらうため、県内での盛り上がりを期待したい。 (法)