先月中ごろから「喪中(年賀欠礼)はがき…
先月中ごろから「喪中(年賀欠礼)はがき」が届くようになった。三河在住の、大学の同級生からは実母とのお別れの報。卒業旅行の帰りに実家に立ち寄りお世話になったこと、卒業式で再会した時のことなどが、走馬灯のように脳裏を駆け抜けた。
筆者は昨年3月に母を見送った。電話でよく話をし、何か辛いことがあった時は、小さな色紙に一句を添えて励ましてくれた長崎の伯父も今春、旅立ってしまった。
コロナ禍ゆえに、いまだ線香の一本さえもあげられていないモヤモヤ感が心の中でくすぶっている。
今さらながらに「いつまでもあると思うな親と金」「孝行のしたい時分に親はなし」のことわざが身にしみる。まことに「親の心、子知らず」であったと反省しても、もう遅いのである。
「もっと話を聞いてあげればよかった…」との思いが、何回も胸の奥から湧き出てくる。親が御健在の方々には「どうか、よく話を聞いてあげて」と余計なおせっかいを言いたくなる。
「親の意見と冷や酒は後で効く」という最近知ったことわざを初冬の夜、一献傾けながらかみしめている。(恵)