奈良県内の重量挙げ普及に尽力 奈良商工高校教諭・宇野達也さん - 出合いを聞く(下)

「我流に限界なし」 生徒に機会与えて導く
奈良南、宇陀、奈良商工―現在、3県立高校でウエイトリフティング(重量挙げ)部が活動している。宇野達也さん(62)は奈良商工で指導しながらも、奈良県協会理事長として各校に気を配る。現在は後進の指導者も育ち、2031年に県開催を予定する国民スポーツ大会に向け、次なる段階を見据える。
競技と仕事の両立という多くの競技者が突き当たる壁に、宇野さんも阻まれた。そこで教員へと転職し練習時間は確保しやすくなったが、部活動で生徒を指導するまでには至らなかった。
一つの転機となったのが山辺の次に赴任した桜井商でのこと。畝傍高生時代に打ち込んでいたことから柔道部の顧問を任されたが、格技場の横にテントを建てて地面に枕木を敷いてバーベルを設置し、生徒たちに重量挙げを体験させた。柔道部員の筋トレにも活用でき一石二鳥。部設立に向け順調にことが運んでいると思った矢先、台風でテントが飛ばされてしまった。安全性を考慮すると止めざるを得なくなった。しかし、そういった熱意が認められたのか、重量挙げ部のある大淀(現奈良南)への転任が決まった。37歳の時のことだった。
大淀には部があったものの専門の指導者がおらず、ほぼ開店休業状態。まずは部室の片付けから始まったが、早くもその年のインターハイに2選手を送り出すことに成功した。
その後も吉条啓二(2005年、スナッチ138キロで日本高校記録)など全国大会上位入賞する選手を育てた。
大淀では11年間指導し、続いて赴任したのが奈良朱雀(現奈良商工)。そこでは一から部を作り上げた。
剣道部しか使っておらず半分空いていた格技場に目を付け、学校の許しを得てバーベルを挙げ下ろしできるよう床下を補強。鉄パイプなどの材料を買ってきて自ら行った。その作業を手伝ったのが、担任を受け持ったクラスの生徒だった岡本悠太だった。岡本は中学時代は吹奏楽部に所属しスポーツとは無縁で過ごしてきた。「腕立てもできない、センスのないナンバーワンだった」と宇野さんは振り返る。
そんな彼が重量挙げに興味を持ったのは、女子に腕相撲で負けてしまったことがきっかけだった。宇野さんが付きっきりで指導した結果、岡本はたった1年で56キロ級の県高校記録を幾度も塗り替えるまでに成長した。指導者としての宇野さんの自信にもなった。
宇野さんは大学時代、世界記録を目にして仲間たちと「いったい何を食べ、どんな練習をすればこうなれるのか~」と議論し合った。重量に対する飽くなき憧れがあった。「何キロまでしか挙げられないという限界はないはずだ」。夜が明けるまで「結果が出せるフォームやそれが可能となる練習法」について語り合った。そうして自力で成長してきた過程が指導者として役立った。岡本は卒業後、宇野さんの母校である大阪経済大を選んだ。それは自らを成長させてくれた恩師へのリスペクトの表れだろう。奈良朱雀時代の教え子からは、奈良南の巽顧問、奈良商工の森田コーチら、指導者が育っていることも特筆すべき点である。
指導者として「自分の資質に気付いていない生徒に機会を与え導くことも義務」と話す。その時々の勧めで砲丸投げ、柔道、そして重量挙げと出合った自らの体験がその根底にある。
「五輪など生まれついての資質、環境などがないとたどり着けない場所は確かにある。しかし、そこに行けなかったら駄目なのか。自分の満足を勝ち取るためにやるのもいい。万人に目指せるものを提供できるのが重量挙げだ」。宇野さんは教員、指導者を続けながらもマスターズ選手権大会に出場し、04年にはカナダのエドモントン大会に出場し世界6位の成績を収めた。17年から19年までは大会3連覇を手にした。コロナ禍以降は出場を中断してきたが、競技を再開したい思いは強い。「一流はピークを過ぎたら止めてしまう。我流でここまで来た私にはまだまだ限界はない」。=おわり=(有賀)
2024年8月14日付・奈良新聞に掲載