国原譜

62年前の5月26日、国際オリンピック委員会は西ドイツ・ミュンヘンで総会を開き、昭和39年の五輪を東京で開くと決めた。翌日の大和タイムス…

 62年前の5月26日、国際オリンピック委員会は西ドイツ・ミュンヘンで総会を開き、昭和39年の五輪を東京で開くと決めた。翌日の大和タイムス(現奈良新聞)は「聖火遂にアジアへ 五輪史上一大エポック」の見出しがまぶしい。

 地元選手への期待もさることながら、県内では観光面への期待が大きかったようだ。5月28日付のトップ記事は「外人ホテル誘致に乗り出す 東京オリンピックを機に」だった。

 本欄国原譜も、奈良公園の整備や大台ケ原ドライブウェイの建設を挙げ「一切完結にこぎつけたいものだ」と健筆を振るっている。

 今、奈良市には既存の大型ホテルに加えてJWマリオット・ホテル奈良があり、外国人観光客の受け入れ態勢は62年前の比ではない。ただ、コロナ禍が全てを変えようとしている。

 前述の国原譜は「開催不可能になるようなことのないように祈りたい」とも書いている。日中戦争などで開催返上に至った昭和15年の東京五輪を踏まえたことだ。

 新型コロナウイルスという災いが再び五輪を幻にするのか、大先輩の国原譜が、暗示のようにも読めてくる。(増)

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