【動画あり】飛鳥宮跡の外郭に新たな建物跡 複数棟を計画配置?
奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)は4日、明日香村岡の飛鳥宮跡(国史跡)で、7世紀後半に天武天皇(在位673~686年)らが政治を行った飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)の外郭部分から、掘っ立て柱建物跡が見つかったと発表した。2009年度の調査でこの建物跡の北側で、同宮跡で最大級の大型建物跡が確認されており、橿考研は「大型建物を中心にして複数の建物で構成される空間が存在する可能性が高まった」としている。
飛鳥宮跡と北西に隣接する飛鳥時代の大庭園「飛鳥京跡苑池」の整備活用事業に伴い、9月から宮殿があった「内郭」と呼ばれる区画の北西と、その北側の外郭部分の約500平方メートルを調査した。
建物跡は東西10メートル以上、南北約6メートル分の柱穴(8基)を確認した。柱間は南北方向が約3メートルで、東西方向は西から約3.5メートル、約4メートル、約3メートルという特殊な構造を持つ。
過去の調査では北側約25メートルに大型建物跡を確認。大型建物は最大で東西35.4メートル、南北15メートルで四面ひさしを持つと想定されてきたが、その場合、今回の建物跡と柱筋がほぼ一致する。また、東西方向の柱間の特殊な構造も一致した。
建物跡の南側約10メートルでは、同時代の掘っ立て柱塀約20メートル分の柱穴(9基)を確認。塀は内郭と外郭を区画するように南北約200メートル、東西150メートルに張り巡らされていたと想定されており、過去の調査結果とあわせて東西方向は148メートル分を検出したことになる。 橿考研によると、建物跡と掘っ立て柱塀は、大型建物とともに計画的に配置されたものと考えられるという。
現地説明会は5、6日、いずれも午前10時~午後3時。少雨決行。駐車場はない。
前殿的建物か
小沢毅・三重大学教授(考古学)の話
今回見つかった建物が「前殿的」、大型建物が「正殿的」な役割を持ち、それらが一定の面積を持つ空間「院」を形成している可能性がある。飛鳥京で最大級の大型建物は天皇が出御した場所、新たな建物は臣下の空間と考えた方がいいだろう。飛鳥京跡苑池との関係を想定することも不可能ではない。