維新のさきがけとして、幕末の大和で尊王…
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維新のさきがけとして、幕末の大和で尊王攘夷派が決起した天誅組。その志士たちの遺徳を今に伝える「天誅踊」がゆかりの地で踊られてきた。
しかし、天誅組が本陣を置いた旧大塔村(現五條市)の天辻では、踊り手がなく途絶えてしまった。そのため「天忠組市町村連携協議会」では今年、天誅組160年を記念し踊りを復興した。
復興された天辻の天誅踊は、はちまき、たすき掛けの男性が模擬刀、浴衣の女性が扇子を持って踊る。10月の催しで五條市の若手職員有志らが初めて披露した。
伝わった歌詞では、紀州藩を「みかん」とするなど追っ手となった藩の名前を伏せる。幕府の処罰の恐れたためで、天誅組の変直後から踊られてきたことをうかがえる。
民俗学者の宮本常一の著書には、「天誅組を助けた村は栄え、仇(あだ)をなした村は不幸続いた」との土地の言い伝えを記す。当時の民衆が天誅組をどう思っていたが分かり興味深い。
幕末には非業の最後を遂げた人への同情から「残念さん」という民間信仰があった。天誅組はさまざまな角度で研究できる題材といえる。(法)