「長谷川テル」と聞いてピンと来る人は昭…
「長谷川テル」と聞いてピンと来る人は昭和生まれの戦前・戦中を知る人たちだろう。久しぶりにその名前を1日付3面で見つけた。
「奈良女子大学在学中に国際補助語のエスペラントを学び、反戦を訴え続けた活動家、長谷川テル」をしのび、奈良・長谷川テル顕彰の会が、在学中にテルが訪れた般若寺で「訪問記念の碑」の除幕式を行ったという記事だ。
テルとエスペラントとの関わりについては「奈良きたまち 異才たちの肖像」(安達正興・著、2019年、奈良新聞社刊)の第4章「夭逝した語学の天才・宮武正道」の中に出て来る。
テルは東京女高師(お茶の水女子大)と奈良女高師(奈女大)の両方に合格した秀才。「万葉集」や「古事記」への興味から奈良を選んだという。
1932(昭和7)年5月、宮武が主宰するエスペラントを学ぶ「サロン」に参加。9月、左翼の一斉検挙で疑いをかけられ、警察に1週間留置、逮捕されたことで退学処分に。治安維持法の犠牲者である。
「売国奴」となじられながらも中国で抗日宣伝放送に従事、世界友好と反戦に命を燃やした。(恵)