国原譜
国の名勝でもある大和三山は、三者三様の…
国の名勝でもある大和三山は、三者三様の姿が魅力だろう。標高は耳成山が2番目と思っていたが、10年ほど前に改めて登った時、山頂近くの説明板に「三山の内で一番低く」とあって間違いに気付いた。
その標高は139・7メートル。低く見える香久山は152メートルを測る。元は火山だったが盆地の陥没で沈下し、頭の部分だけが顔を出しているのだという。
20日付の本紙連載「大和青垣の山々」で、山の考古学研究会の竹田政敬さんが耳成山を紹介していた。藤原京で暮らす人々にとって、三山で最も神々しいと意識されたのが耳成山だった。
万葉集では青菅山と呼ばれることもあり、清浄ですがすがしいさまと生い茂る菅(すげ)を重ねたという。藤原京が耳成山を中軸にして築かれたのも、その神々しさゆえだろう。
尾根がなく、おわんを伏せたような山容が「耳なし」の由来らしい。藤原京の時代、三山を臨む風景はどれほど美しかったろうと想像する。
時代は変わって令和の世。国の中軸が菅氏というもの何かの縁か。党内は不祥事続きだ。国民の声を聞く耳はしっかり持ってほしい。(増)
その標高は139・7メートル。低く見える香久山は152メートルを測る。元は火山だったが盆地の陥没で沈下し、頭の部分だけが顔を出しているのだという。
20日付の本紙連載「大和青垣の山々」で、山の考古学研究会の竹田政敬さんが耳成山を紹介していた。藤原京で暮らす人々にとって、三山で最も神々しいと意識されたのが耳成山だった。
万葉集では青菅山と呼ばれることもあり、清浄ですがすがしいさまと生い茂る菅(すげ)を重ねたという。藤原京が耳成山を中軸にして築かれたのも、その神々しさゆえだろう。
尾根がなく、おわんを伏せたような山容が「耳なし」の由来らしい。藤原京の時代、三山を臨む風景はどれほど美しかったろうと想像する。
時代は変わって令和の世。国の中軸が菅氏というもの何かの縁か。党内は不祥事続きだ。国民の声を聞く耳はしっかり持ってほしい。(増)