経済

公認会計士のあと住職に 十輪院・橋本 昌大住職(44) - 奈良をデザインする人たち(4)

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「奈良の人であることに感謝し続けたい」と話す橋本昌大住職=奈良市十輪院町の十輪院

―お寺の紹介をお願いします。

 

橋本 「地蔵十輪経」というお地蔵さまのご利益を説いたお経のタイトルから、「十輪院」と名付けられました。本尊は地蔵菩薩で、平安時代末期から鎌倉時代に石仏龕(せきぶつがん=国重要文化財)という形で成立しました。龕は仏像を納める厨子のことで、地蔵菩薩を中心に、釈迦如来や弥勒菩薩などが花こう岩の切り石に浮き彫りされています。十輪院自体は、奈良時代に元正天皇の勅願により、朝野宿禰魚養(あさのすくねなかい)という僧により建てられました。境内の建物や仏像は鎌倉時代以降のものが多く現存しています。京都の醍醐寺を本山とする真言宗のお寺です。

 

―小さい頃の思い出は。

 

橋本 生まれた家がお寺だということをあまり意識せずに育ちました。ただ、「南無大師遍照金剛」という言葉と地蔵菩薩のご真言だけは、小さい頃から自然と口にすることができるようになっていました。目立ちたいタイプというよりは、おとなしい子どもだったと思います。休日も檀家さまの法事やお寺の行事で忙しかった父親が年に一回、連れて行ってくれた家族旅行が楽しい思い出として残っています。進路を決めるにあたって、住職だった父親は「お寺を継ぎなさい」とは言わず、「やりたいことがあるなら、それをやりなさい」と言ってくれました。そのため、当時興味のあった心理学が学べる大学に進学しました。

 

―大学卒業後はどうしましたか。

 

橋本 就職活動が始まる大学3年のときに、父親から「お坊さんの修行は年を取ってからでは大変。お坊さんになってもならなくても、必ず人生の役に立つから、今のうちにやっておいた方がいい」と言われ、卒業後に一年間、本山の醍醐寺で修行をすることにしました。ただ、修行を終えても社会に出たいという気持ちは変わらず、会社に就職したかったのですが、当時は就職氷河期と呼ばれる時代で、新卒でないと正社員として就職するのが難しい状況でした。そこで、高校時代に数学が得意だったこともあり、それが生かせそうな公認会計士の資格を取ることにしました。専門学校に通い、3度目の挑戦で合格しました。

 

―資格取得後はどうしましたか。

 

橋本 公認会計士として7~8年、監査法人で働きました。その間、結婚をして、子どもも生まれました。そのまま公認会計士を続けるのも悪くなかったのですが、父親が病気になり、お寺に戻ることにしました。当初は右も左も分からず、住職の父親を手伝っていた役僧の方たちに手取り足取りお寺のことを教えていただきました。令和になった頃に副住職から住職になりました。

 

―最近感動したことや奈良への思いを教えてください。

 

橋本 住職はとても孤独です。そのため、違う宗派のお坊さんが集まって法要を営み、一つの祈りを捧げる時はとても感動します。心の支えにもなります。奈良への思いについては、奈良の人であることに感謝し続けたいと思っています。

 

―将来の夢や展望は。

 

橋本 個人的な夢はここ10年で全てかなったと思っています。そう思う方が楽だから、そう思っているだけかもしれませんが。ただ、時代に合わせて必要なことはお寺としてやっていければと思っています。

 

―ありがとうございました。

 

 

 

【十輪院】

奈良県奈良市十輪院町27

電話:0742(26)6635

 

 

<インタビューを終えて>

 

 お寺で生まれ、お父さまの影響を強く受け、幼少期を過ごされました。その中で自分の人生を自問自答しながら難関の「公認会計士」を取得、企業での経験や過去の人生の経験を生かし、現在住職をされています。今後、住職として、また社会での素晴らしい活躍が期待されます。(村内俊雄)

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