藤高、Bリーガー引退 - バンビシャス奈良

優れた身体能力、守りで本領発揮
シーズン最終戦となった、4月21日の愛媛オレンジバイキングスとの第2戦。第4Q残り2秒に藤高宗一郎はファウルを受け、ボールを手にフリースローサークルに立った。通常ならあるはずの相手ブースターからのブーイングも聞かれず、会場中が彼の放つ2本のスローがリングに沈んで行くさまを静かに見守った。それが藤高のBリーグ最後の得点となった。
藤高がBリーガーからの引退を発表したのは4月15日。しかし引退を決めたのは前シーズンが終了した1年前にまでさかのぼる。
「7年前、大阪エヴェッサに移籍するタイミングで、母校(大商大高校)から『教師として戻って来ないか』と言われた。それ以来毎年誘われ続け、とうとう断りきれなくなった」と、藤高は決意した理由をそう話した。バンビシャス奈良からは複数年契約が提示されたが辞退した。今シーズンは「引退」の二文字を胸に秘めコートに立ち続けたのだった。
実は藤高が引退を考えたのは今回だけではない。バンビシャスに移籍することになる2020年。藤高はその年の夏に行われる東京五輪で正式種目となった3×3(スリー・バイ・スリー=3人制バスケ)で代表候補入りしていた。五輪出場を目指し、その後は教職に就くことがほぼ決まっていた。それが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響でまさかの1年延期。表向きは「1年伸びて準備する時間ができた」と前向きな発言をし続けたが、「東京五輪に照準を合わせ結構準備をしてきたので正直つらかった」と、藤高はその時の心境を振り返った。
五輪が延期となりBリーグでのプレー継続を決め、複数のチームからオファーがあったものの3人制との平行はいずれも不可。唯一、バンビシャスだけが「思うようにやってくれ」と3×3の選手活動も許可した。
もし東京五輪が延期しなかったら、バンビシャス奈良での4シーズンはなかったかも知れない。それも合わせた10年間のプロ生活、藤高は「苦しいことが8割、楽しさが2割」と話し、決して順風満帆ではなかった。エヴェッサでの最後のシーズンには、藤高の代名詞でもあったダンクに対し「要らない」とまで言われた。
そんな思いを経験して移籍してきたバンビシャスでは、藤高は初年度から「まずはディフェンス」と言葉にしてきた。優れた身体能力を生かした相手シュートの精度を狂わすディフェンスは、数字には表れないプレーだ。しかし特に今シーズン、平均得点数などの数値が他チームより劣るバンビシャスがプレーオフを射程圏内に捕らえる戦いぶりを見せられたのも、藤高のようなプレーヤーが下支えしてきたのは間違いない。
Bリーグからは引退するものの、3×3は継続する。教職と平行できるなら5人制のクラブチームなどでプレーする意欲も持っている。「お疲れさまでした」と声を掛けるのはまだまだ早いようだ。(有賀)
2024年6月7日付・奈良新聞に掲載