厳しい残暑も峠は越えた。それでやっと気…
厳しい残暑も峠は越えた。それでやっと気づいた。新米の季節がそっと訪れていたのだ。季節感の変調は気になるが、とにかく米の飯だ。
没後90年になる宮沢賢治の詩に「和風は河谷いっぱいに吹く」(詩集『春と修羅 第三集』所収)というのがある。和風とは、木の葉を揺らす程度の穏やかな微風のこと。
詩は「たうとう稲は起きた」で始まり、稲田に触れて「素朴なむかしの神々のやうに べんぶしてもべんぶしても足りない」(ちくま文庫版)で終わる。
「べんぶ」は「抃舞」のことで、大喜びで手を打って舞い踊ることをいう。日本列島に稲作が伝わった悠久の昔。その歴史とともにこの国は歩んできた。
稲作は「素朴なむかしの神々」の時代から関わり、折口信夫や柳田国男といった大学者たちも自然、風土、歴史、神話など幅広い視点から、さまざまに説いてきた。
賢治と奈良を結びつけたかったが、賢治の奈良に触れた文章を見つけられない。だが、奈良には学生時代に修学旅行で訪れ、父親と旅行もしているのだ。新米をじっくり味わい、賢治の童話でも読み直そうか。(北)