国原譜

明治維新後の「廃仏毀釈」により南都の寺…

 明治維新後の「廃仏毀釈」により南都の寺院は大きな打撃を受けた。聖徳太子ゆかりの法隆寺も例外ではなく、一時は独立を保てず真言宗に所轄された。

 法隆寺は明治11年、政府に寺の存在を知らしめるため寺宝約300点を皇室に献納。恩賞金を賜り、寺の復興と独立への足がかりとなった。

 献納品は現在、東京国立博物館で「法隆寺献納宝物」として保管。奈良時代(8世紀)の品を中心とした正倉院宝物よりも、一時代古い飛鳥時代(7世紀)の品を数多く含む貴重な古代美術コレクションだ。

 その一部が奈良国立博物館で開催中の「聖徳太子1400年遠忌記念特別展「聖徳太子と法隆寺」で里帰り展示されている。中でも「灌頂幡」(国宝、7世紀)は宝物を代表する名品だ。

 天蓋を持つ巨大な幡で、他に類例がない金銅製の透彫り。下に付ける吹き流しを含める長さは10メートル以上になると考えられる。

 このほか、法隆寺伝来の美しい赤地の「蜀江錦」の品々など多彩な宝物が並ぶ。新型コロナウイルス感染拡大で外出もままならない状況だが、一見の価値ありだ。(法)

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