国原譜
明治の実業家・藤田傳三郎は幕末の長州・…
明治の実業家・藤田傳三郎は幕末の長州・萩に生まれた。維新後、大阪で数々の事業を成功させ、関西財界のリーダーとして日本の近代化に貢献した。
傳三郎は茶道や能楽などを愛する文化人だった。美術品収集家でもあり、長男平太郎、次男徳次郎の分も含めた収集品は大阪市の藤田美術館に納められている。
その中でも特筆すべきは仏教美術品だ。明治初期の廃仏毀釈(きしゃく)運動で、県内をはじめとする寺院から流失した仏像などを巨額な私財を投じて集めた。
傳三郎の伝記「藤田翁言行録」によると、傳三郎は「いかなる名品も瓦礫に等しい扱いを受け、あるものは安価で外国へ輸出されていた」と危機感を持ち、「大いに美術品を収集して、国宝の散逸を防げば後日後悔をすることがないだろう」と考えていた。
当時は「成金の道楽」と見られていたかもしれない。しかし、傳三郎の使命感で、貴重な国宝が後世に伝わった。
現在、奈良国立博物館の「国宝の殿堂藤田美術館展」で貴重な収集品の一部が展示中。改めて傳三郎の功績が評価されている。(法)
傳三郎は茶道や能楽などを愛する文化人だった。美術品収集家でもあり、長男平太郎、次男徳次郎の分も含めた収集品は大阪市の藤田美術館に納められている。
その中でも特筆すべきは仏教美術品だ。明治初期の廃仏毀釈(きしゃく)運動で、県内をはじめとする寺院から流失した仏像などを巨額な私財を投じて集めた。
傳三郎の伝記「藤田翁言行録」によると、傳三郎は「いかなる名品も瓦礫に等しい扱いを受け、あるものは安価で外国へ輸出されていた」と危機感を持ち、「大いに美術品を収集して、国宝の散逸を防げば後日後悔をすることがないだろう」と考えていた。
当時は「成金の道楽」と見られていたかもしれない。しかし、傳三郎の使命感で、貴重な国宝が後世に伝わった。
現在、奈良国立博物館の「国宝の殿堂藤田美術館展」で貴重な収集品の一部が展示中。改めて傳三郎の功績が評価されている。(法)