国原譜
2025年万博の誘致活動が大阪府・市を…
2025年万博の誘致活動が大阪府・市を中心に展開されているが、1970年大阪万博の仕掛け人といわれる作家の堺屋太一氏が「地上最大の行事 万国博覧会」(光文社新書)を出版した。
堺屋氏が博覧会好きになるのは、御所市に住んでいた13歳の中1生時代にさかのぼる。1948年、母とともに大阪・天王寺公園「復興大博覧会」を訪れた。
白黒テレビの実験放送などの行事に興奮、家に帰ると会場の配置設計や展示館の立面図を描いた。半年あまり建築雑誌を買っては空想を続けたそうだ。
11歳だった筆者の大阪万博の記憶は今も鮮やか。アメリカ館、アポロ12号が持ち帰った月の石に宇宙の夢を見た。4時間半並んで入ったソ連館の重厚壮大さ。
当時過去最高のべ6422万人の入場者を集めた大阪万博。戦後高度成長を象徴する一大イベントについては、評価が分かれる。
ただ、若手を積極的に登用し、建築家、デザイナーなど国際的に活躍する人材を育成したのは確かだ。一過性に終わらず後世に何を残すか。博覧会・イベント「飽食の時代」の課題といえる。(栄)
堺屋氏が博覧会好きになるのは、御所市に住んでいた13歳の中1生時代にさかのぼる。1948年、母とともに大阪・天王寺公園「復興大博覧会」を訪れた。
白黒テレビの実験放送などの行事に興奮、家に帰ると会場の配置設計や展示館の立面図を描いた。半年あまり建築雑誌を買っては空想を続けたそうだ。
11歳だった筆者の大阪万博の記憶は今も鮮やか。アメリカ館、アポロ12号が持ち帰った月の石に宇宙の夢を見た。4時間半並んで入ったソ連館の重厚壮大さ。
当時過去最高のべ6422万人の入場者を集めた大阪万博。戦後高度成長を象徴する一大イベントについては、評価が分かれる。
ただ、若手を積極的に登用し、建築家、デザイナーなど国際的に活躍する人材を育成したのは確かだ。一過性に終わらず後世に何を残すか。博覧会・イベント「飽食の時代」の課題といえる。(栄)