国原譜
全国高校野球選手権奈良大会はいよいよ終…
全国高校野球選手権奈良大会はいよいよ終盤戦。25日にベスト4が決まった。100回記念大会の県代表はどの高校になるのか注目が集まる。
100回といっても県代表が夏の甲子園に出場したのは昭和8年(第19回大会)の郡山中(旧制)が初である。和歌山県代表と出場枠を争う紀和大会で、県勢は長く涙をのんでいた。
2回目出場が何と20年後の昭和28年(第35回大会)の御所実業。当時の奈良新聞(大和タイムス)には「御所実 宿願の甲子園」「雌伏20年強敵和歌山を降す」との見出しが踊っている。
【和歌山県営球場にて谷本本社特派員発】との書き出しが時代を感じさせるが、夏の甲子園出場が県民の悲願であったかが分かる熱い内容の記事だ。
「なぜ高校野球だけ大きく報道されるのか」と、他のスポーツ関係者の苦情を聞いたことも多い。かつては一部指導者のパワハラがまかり通っていたのも事実だ。
しかしながら、時代を超えて白球に青春をかける若者の姿が人々に感動を与えてきたのは確かだ。100回を機に、高校野球のさらなる進化を願いたい。(栄)
100回といっても県代表が夏の甲子園に出場したのは昭和8年(第19回大会)の郡山中(旧制)が初である。和歌山県代表と出場枠を争う紀和大会で、県勢は長く涙をのんでいた。
2回目出場が何と20年後の昭和28年(第35回大会)の御所実業。当時の奈良新聞(大和タイムス)には「御所実 宿願の甲子園」「雌伏20年強敵和歌山を降す」との見出しが踊っている。
【和歌山県営球場にて谷本本社特派員発】との書き出しが時代を感じさせるが、夏の甲子園出場が県民の悲願であったかが分かる熱い内容の記事だ。
「なぜ高校野球だけ大きく報道されるのか」と、他のスポーツ関係者の苦情を聞いたことも多い。かつては一部指導者のパワハラがまかり通っていたのも事実だ。
しかしながら、時代を超えて白球に青春をかける若者の姿が人々に感動を与えてきたのは確かだ。100回を機に、高校野球のさらなる進化を願いたい。(栄)