国原譜
天沼俊一は明治~昭和期の建築史家。本県…
天沼俊一は明治~昭和期の建築史家。本県や京都府の技師を経て京都帝国大学教授となり、各地の古建築を調査した。最近、天沼が関わった古建築に関する発見が相次いだ。
一つは東大寺東塔院跡の発掘調査。奈良時代は複廊だった回廊が、鎌倉時代の再建時に東西と北面は単廊、南面のみ複廊の構造に改変されたことが分かった。
鎌倉期の構造は明治期に天沼らの指導で作られた東塔院の模型と一致。古文書や測量結果を基に作った模型で、天沼らの見る目の確かさを裏付ける。
もう一つは約100年ぶりの修理で白鳳時代の舎利容器が見つかった当麻寺西塔(国宝)だ。天沼は大正期に行われた前回の修理で監督技師を務め、舎利容器の写真や記録を残しているが、制作年代に関する記述はない。
今回の判断基準となった崇福院跡の舎利容器が見つかったのは昭和13年のこと。白鳳の舎利容器の類例は少なく、天沼が気が付かなかったのは仕方がない。
考古学や建築史などの研究進展は日進月歩。それを支えているのは天沼ら先人たちが残した記録や資料だといえる。(法)
一つは東大寺東塔院跡の発掘調査。奈良時代は複廊だった回廊が、鎌倉時代の再建時に東西と北面は単廊、南面のみ複廊の構造に改変されたことが分かった。
鎌倉期の構造は明治期に天沼らの指導で作られた東塔院の模型と一致。古文書や測量結果を基に作った模型で、天沼らの見る目の確かさを裏付ける。
もう一つは約100年ぶりの修理で白鳳時代の舎利容器が見つかった当麻寺西塔(国宝)だ。天沼は大正期に行われた前回の修理で監督技師を務め、舎利容器の写真や記録を残しているが、制作年代に関する記述はない。
今回の判断基準となった崇福院跡の舎利容器が見つかったのは昭和13年のこと。白鳳の舎利容器の類例は少なく、天沼が気が付かなかったのは仕方がない。
考古学や建築史などの研究進展は日進月歩。それを支えているのは天沼ら先人たちが残した記録や資料だといえる。(法)