オリジナル機械で作る集成材「赤庄産業」 - 奈良の自慢企業 (20)
奈良県大淀町にある赤庄産業(あかしょうさんぎょう)は、現代表・向井嘉隆氏の祖父に当たる向井貞夫氏が1950(昭和25)年に「吉野赤庄向井木工所」の屋号で創業したもので、もともとは吉野町で襖縁(ふすまぶち)を作っていた。
主に米杉(べいすぎ)を使用していて、襖縁の他にも良品は日本家屋の天井板などにも使われていた。78(昭和53)年には法人化して現在の赤庄産業となり、80年には吉野町から現在の大淀町へ本社を移転して大規模な設備投資も行うなど、事業は順調に拡大していた。
和室続きの日本家屋が減少していく中、大部屋を間仕切る襖の需要も減少していたため、本社移転を機に材木を切り出す製材のウエイトも高めてきた。その後、米杉の安定供給への不安から集成材の製造にかじを切り、近年の主力事業となった経緯がある。
造作用集成材の中でも鴨居や敷居などの芯材を主力に造ってきたが、さらに日本家屋、中でも和室の需要が縮小していく状況を受けて、羽柄材と言われる間柱(まばしら)などの製造に乗り出した。間柱とは、戸建て住宅の壁内部にあり、構造用の柱と柱の間に設置するもので、壁材を取り付けやすくする役割がある。間柱はまだまだ海外製品のシェアが高いが、同社は国産集成材メーカーとして安定した品質と納期を守ることで顧客からの支持を伸ばしている。
集成材は「ラミナ」という挽(ひ)き板や小角材を接着剤とプレス機で圧着して造るもので、通常は厚み(タテ)方向か、巾(ヨコ)方向にしか圧着できないが、同社はオリジナルの大型プレス機を4台保有しており、厚み方向と巾方向を同時にプレスする「Wブロック」で製造、厚み530ミリ、巾750ミリ、長さ6000ミリまでの集成材製造を可能としている。
代表の向井氏は創業者から数えて3代目に当たり、大学時代にはサッカーやフットサルなどスポーツを楽しんでいたが、大学卒業後は家業である同社に入社し、年配の先輩社員にしごかれながら集成材の製造に取り組んできた。
先代の背中を見ながら造作用集成材の多くを学んできた代表が次に構想しているのは、奈良県や和歌山県など、地域材を使用した集成材のより広い用途、より大きな建物での活用だ。そんな代表の思いはただ一つ、「木材の価値を上げていきたい!」
(帝国データバンク奈良支店長・近藤穣治)
【赤庄産業】
大淀町下渕1504